「カップリング創作好きに100のお題」に挑戦中。
03 // 2017.04 // 05
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096.「not awaken」

 青木が室長室へ入った時、彼の上司である室長はまだ眠っていた。
 幅広いソファに横たわり、クッションを枕がわりに目を閉じたままの姿を見て、青木は音をたてないように細心の注意をはらってドアを閉めた。
 ・・・薪さんを起こしに来たんだから、静かに閉める必要ないんだけどな。
 自分の矛盾した行動に苦笑しつつ、それでも足音をたてないようにソファへと近づき、薪の傍らへと両膝をついた。
 常であれば、ドアを開けた部下が目にするのは、すでにノックの音で仮眠から目覚めて起き上がっている薪の姿なのだが。今日は珍しく眠りが深いようだ。

「薪さん」
 そっと呼びかけてみる。
 しかし反応はなく、仮眠用の薄いシーツ1枚が掛けられた薪の胸は、ゆるやかに規則正しく上下運動を続けている。
 本当に、ここまで深く寝入っているのは珍しいなと青木は少し驚く。
 その秀麗な寝顔はとても穏やかで、いつも鋭利な空気を纏い部下たちを叱責し震え上がらせている上司と同一人物とは思いがたい。
 もう少し寝顔を見ていたい・・・もとい、休ませてあげたい思いが強まるが、時間どおりに起こさないと怒るからなあ、この人。
「薪さん? 起きてくれないと、いたずらしちゃいますよ?」
 囁くようにそう言って、青木は自分の言葉を反芻して思わず身震いした。
 いたずら、なんて。
 できるわけがない、そんな恐ろしいこと。
 たとえば休日の、どちらかの自宅で二人きりで過ごすプライベートな時間ならともかく、この勤務時間中の職場で寝込みなど襲った日には。薪さんに殺される。
 でも、軽いキスぐらいなら・・・と邪な考えが少しだけ頭をもたげてくる。
 いやいやいや冷静になれオレ、キスした瞬間に誰かが入ってきたらマジで自分は亡きものにされてしまう。っていうか薪さんより先に岡部さんに殺される。

 不純で不毛な葛藤の末、もう揺り起こしてしまおうと薪へ伸ばした手の、その先にある肩を見つめて青木は動きをとめた。
 自分よりも細いその肩に、彼が常に背負うもの。
 それがどれほどの重さを持つのか、青木がいくら思いを馳せても深遠なことで。
 でも、今この瞬間だけは、その荷は下ろされ忘れ去られている。
 深い呼吸とともに微かに上下している肩は、今は軽いはずだ。
 だから、・・・もう少しだけ。あと1分だけ、眠らせてあげたい。

 青木は腕をおろし、両膝を床についた姿勢のまま、少し背を丸めて薪の寝顔を覗き込んだ。
 愛しい人の美しい寝顔なんて、ただ眺めているだけで時間を忘れるには充分だ。1分など瞬く間。
 待てども薪が目を覚ます気配はないが、無意識のうちに青木が息を殺し身動きもせず音もたてないように気遣ってしまっているのだから、そんな環境で目覚めを期待するのも難しい話だ。
 ただ、年齢不相応なあどけない表情で、すこやかな寝息を繰り返す彼の眠りを邪魔するのは、やはり忍びなくて。

 あと1分、あと1分だけ----と自分が惰眠を貪る朝のように甘い判断を繰り返すうち、とうに1分どころか5分が経過していた。
 青木が室長室に入った時点から数えると優に8分は超えている。
 これはさすがに、そろそろ薪が起床したと思い込んだ他の職員が、報告書など持参し入室してくる可能性もある。
       仕方ない。
 意を決して、青木は薪の肩を軽く揺する。
「薪さん。薪さん、起きてください」
 肩から伝わる振動によって、伏せられた長い睫毛が震え、陶器のような瞼が開いた。
 やっと起きてくれた・・・最初から揺すればよかった・・・と安堵の息をついた青木は、いま開かれたばかりの琥珀色の双眸が、じっとこちらを見上げていることに気づく。

「? 薪さん?」
「・・・・・・」
 青木が問いかけるように首を傾げると、ふいっと薪の瞳は逸らされた。
「1時間で僕が起きなければ、起こせと言ったはずだが」
「あ、はい。ですからちょうど1時間・・・」
「1時間と10分が経過している」
 ソファの上で上半身を起こした薪に、今度はじろりと鋭い視線を向けられて、青木の背中を冷ややかな汗が伝った。
 10分間も何してた、と言外に責められている気がして、思わず視線を逸らしてしまう。

 室長室に入った時は確かに1時間だったんです、その後10分近くあなたの寝顔を見つめて他力本願で待ってました、ついでにキスしたいとか思ってました、などとは口が裂けても言えない。いくら恋人同士とはいえ薪が職場で許す発言ではない。
 さらに、多忙な薪の貴重な時間を無駄にしてしまったことにも改めて思い至り、今更の後悔が押し寄せる。
「す、すみません。少し・・・伺うのが遅れてしまって」
「まあいい。すぐに行く」
 ふん、と無表情で鼻を鳴らして、薪はソファから降り立った。
 すでに背を向けて執務椅子の背にかけた上着を手にとる薪を名残惜しそうに見つめたあと、青木は一礼して退室した。
「失礼します」

 ドアの閉まる音が耳に届くと、薪は上着を羽織りながら肩越しに振り向いた。
 無人となった背後を見やり、つまらなさそうな顔で肩をすくめる。
「意気地なしめ」
 ぼそりと漏らされた呟きは、閉じたドアに跳ね返され、相手に届くことはなかった。

 -おしまい-

 
[あとがき]
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【2017.04.24 (Mon)】 秘密 -the top secret-
033.「ファースト」

「ふう」
 ひとつ息をついてモニターの電源を落とし、コートと鞄を手に取る。
 凝り固まった首を回しつつ周囲を見渡すと、すでに自分以外の職員の姿はなく、広い室内に自分ひとりが取り残されていたことを再認識する。
 つい時間を忘れて、根を詰めすぎたな。と心中でぼやきかけて、しかしまだ「自分ひとり」ではなかったことに青木は思い至る。
 彼が視線をめぐらすと、じきに日付が変わろうとする時間帯にも関わらず、室長室の窓からは明かりがもれていた。それは珍しくもなく、いつものことなのだが。
 青木は、帰り支度を整えたその足を、まっすぐ室長室へと向けた。
 2回のノックに対して、扉の向こうからは「何だ」と声が返ってくる。
「薪さん」
 呼びかけつつ扉を開けると、執務机の前に立つ薪がこちらを見た。
 机上には彼の鞄が置かれている。
「お疲れさまです。・・・今から、お帰りですか?」
「ああ。ご苦労だったな、おまえも早く帰れ」
 青木の様子から、すでに彼が帰り支度を済ませ退庁寸前であることを見取った薪は、そう一声告げるとすぐに顔を背けてコートを羽織った。
「・・・はい。では失礼します」
 2秒ほど逡巡したのち、青木は頭を下げ、静かに扉を閉めた。
 部下が去ったことを確認すると、薪も早々に自身の身支度を整え、手元のリモコンでセキュリティ施錠を操作しながら出口へと向かう。

 よどみなく滑らかな足取りでいくつかの扉を通過し、やっと建物の外へと出た瞬間、薪の足がピタリと停止した。
 琥珀色の瞳を見開いて、右隣に佇んでいる大きな影を見上げる。
「・・・何してるんだ。青木」
 彼らの職場である「科学警察研究所法医第九研究室」の、その玄関前には、先に帰途についたはずの部下が立っていた。
 名を呼ばれた青木は、少し照れたように微笑み、薪の隣へ一歩近づいた。
「途中まで、ご一緒しようと思いまして」
 薪さんを待ってたんです。と言って、またにこりと笑った
「・・・僕が、いつ帰るかなんて分からないだろう」
「でもさっき室長室に伺った時、コートまで着ておられましたし。すぐに帰宅されそうなご様子だったので」
 嬉しそうに話す青木を憮然と見返して、薪は無言で足を踏み出した。
 玄関前に放置されそうになった青木は、あわてて薪のあとを追う。
「あの、薪さん」
 呼びかけるも返答はない。まるで青木など存在しないかのごとく、まっすぐ前方を見据えたまま早足で歩き続ける。まあ、これもいつものことだ。青木がちらりと横目で盗み見た薪の無表情は、決して不機嫌そうではない。怒っているわけじゃない。
 この程度でめげていては、薪の部下は務まらない。

「薪さん。あのですね。お花見、しませんか?」
 この場にそぐわぬ台詞が頭上から降ってきて、薪は思わず足を止めて青木の顔を見た。説明を求めるように、少し眉をしかめて。
 薪がやっと自分を見てくれたことが嬉しくて、青木はにこにこと話し出す。
「ほら、この・・・いつもの帰宅ルートから少し横道に逸れた先に小さな公園があるのご存知ですか? そこに1本だけ桜の木があるんですよ。ちょうど桜の横に街灯があって、若干だけどライトアップ気分も味わえて、穴場なんです。寄っていきませんか?」
「寄って・・・って、今からか?」
 はいっ、と相変わらずの笑顔で青木は頷いた。
「おまえ・・・今日は何曜日だ?言ってみろ」
「わかってますよ。水曜・・・もう日付変わって木曜日ですけどねっ。明日ってか今日が休日じゃなくて出勤日で、また朝から大忙しなことぐらいオレだって理解してますよっ」
 薪から心底呆れたような、ともすれば可哀想な子を見るような目を向けられ、青木は少し赤くなりつつも反論する。
「少しだけ。15分、いや10分程度でいいんです。ちょっと寄り道するだけですから、そんなにお時間とらせませんからっ」
 最初は余裕めいていた青木の口調が、薪の眉根が寄ったままなおらない状況を受けて、だんだんと縋るようなものになっていく。
「別に、今日じゃなくてもいいだろう」
「いえ。今日じゃなくちゃダメなんです」
「なぜ」
「だって」
 なんだかオレ、駄々をこねる子供みたいになってないか?と焦りと恥ずかしさをおぼえつつ青木は、腕組みをしたまま口を曲げて困ったような顔で見上げてくる薪に向けて言葉を続ける。
「オレたちの、第九の仕事は・・・いつ何時、どのような案件が持ち込まれるかわかりません。悲しいけれど犯罪事件は毎日のように起こっていますから、もしかすると明日にも突然、MRI捜査を必要とする事件が多発するかも知れない。そうなったら、いくら予定たてたってお花見なんて無理ですよ。事件解決してる間に桜散っちゃいます。それに。今日みたいにオレと薪さん二人の帰宅時間がちょうど合って二人だけで帰れて桜を見れる日なんて、滅多にないんですから。今日、今しか・・・」
「おまえたちが1日で事件解決すれば、花見ぐらいできるんじゃないのか?」
 静かな声で返されて、青木の全身が固まった。
 サーッと己の血の気が引いていく音が聞こえるようだ。
 そ、そりゃそうです、仰るとおりです。ごもっとも。すいませんオレ調子に乗りました。
 ですが薪さん、たった1日で解決できた事件なんて、第九史上1件でもありましたっけ・・・?
 もはや怖くて見れない薪の顔に、先ほど不可抗力でそらしてしまった視線を精一杯努力して戻してみる。
 だが青木の予想とは異なり、薪の瞳は氷の冷やかさを纏ってはいなかったし、口元に微かに浮かんだ笑みは、意地の悪い類のものではなかった。

「10分でいいのか」
「え?」
「どこだ?」
「え?」
「何してる、さっさと案内しろ」
 背を向けて颯爽と歩き出す薪に、ようやく事態がのみこめた青木があわてて追い縋る。
「薪さん、そっちじゃありません。こっち、こっちです」
 喜びと驚きが入り混じり呆然とした頭のまま、しかし薪の時間を無駄にしてはいけないと、青木は彼の腕をとって目的地までの道を示す。

 第九研究室の建屋から一般市街地へと続く石畳の歩道の途中、左手に向かって細い道が伸びている。
 その整備されていない砂利道へ足を踏み入れた二人は、1分もかからずに、こじんまりとした公園に到着した。
「良かった。誰もきてませんね。二人占めですよ」
 ほっとした声をあげて、そこで青木は薪の腕をずっと掴んでいたことに気付き、小さく謝って手を離した。
 だが薪は、青木を見てはいなかった。自分の腕の扱いにも頓着せず、その大きな瞳がただ見つめている先には、
「桜・・・きれいですね」
 薪は、こくりと頷いた。
 小さな古びた公園に見合う、小振りな桜の木だ。その横に立つ街灯の光も、心もとない弱さではあるが、暗闇に消え入りそうな桃色の花弁たちの姿をしっかりとうつしだす役目は果たしている。
 時折、風に揺れて舞い落ちる、その薄く小さな花弁も光の中で捉えることができる。
 桜の下に設置された唯一のベンチへ、青木に促された薪が腰をおろす。
 その隣へ青木も座ったところで、コートのポケットから取り出したものを薪へと手渡す。
「どうぞ」
 受け取ってから確認すると、それは缶コーヒーだった。生暖かい。
「なんだ。酒じゃないのか」
「こんな時間に飲んじゃったら、明日に響きますって」
 つまらなさそうに言う薪へ、青木が苦笑する。

 自分の分のコーヒーを一口飲み、青木は頭上の夜桜を仰ぎ見る。
「オレ、第九に入ってから花見をしたの、今日が初めてです」
「・・・僕もだ」
 ぽつりと呟くような声に、驚いて青木が薪の方を見る。
 彼の上司は、じっと桃色の空を見上げていた。まるで初めて見る景色のように、魅入られたように瞬きもせず、桜にも似た唇は僅かに開かれたまま、ただぼんやりと。
 いつもは鋭く硬い視線が、今は柔らかい。
 絹糸のような薄茶色の髪が、風に揺れて白い額をかすめている。その髪には、頭上から零れた薄桃色の花弁が1つ絡まっている。
 一瞬見とれかけた青木は、揺らいだ手元のコーヒーを零しそうになり、ハッと我に返った。そして呟く。
「・・・嬉しいです」
 今度は薪が、驚いて青木の顔を見る番だった。
「薪さんの、初めてのお花見にご一緒できるなんて。それにオレも、入庁して最初の花見が薪さんとだなんて。嬉しいです」
「・・・別に、僕の人生初めての花見じゃないぞ。第九に入る前は何度か」
「はい。それでも薪室長と一緒に桜を見た部下は、オレだけってことですよね」
 にこりと、言葉どおり嬉しそうに笑った青木を、薪は一瞬呆気にとられたように見返していたが、すぐに顔を背けて立ち上がった。
「薪さん?」
「もう10分たった」
 あわてて青木が腕時計に目を落とすと、確かに公園に入った時に確認した時刻から寸分たがわず、きっかり10分が経過していた。
 この人の体内時計、どうなってんの・・・。
 そう声には出せずに心中だけで呟きながら、青木も急いでベンチから腰をあげる。

「おまえはまだ残っていてもいいぞ」
「え、いや、オレも一緒に帰りますよ」
 オレだって明日があるんですから。と言えば、急速に冷えた瞳で「明日に控えた仕事の量が分かっていながら、こんな深夜に上司を花見に誘うとは、おまえは随分と自信と余裕があるんだな青木?」といじめられそうな気がしたので、青木は口をつぐんだ。しかし足は、すでに帰途へつきはじめた薪の背中を追う。

「薪さん。そういえば来週は雨になるそうですよ。運が悪ければ都内の桜は、おおかた散っちゃうかも知れませんね。そう考えたら、今日見ておいてよかったですね」
 隣を歩く薪からの返事や反応は期待せず、青木は話し続ける。
 ただ、こうして彼の隣を歩くことができ、こうして自分の思いを彼に聞いてもらうことができる、それだけで十分だ。
 ・・・本当は、欲を言えば、会話も視線も交わしてほしいけれど。でも薪さんだし。
「そうだな」
 だから、期待していなかったから、耳に届いたその声にすぐに反応できなかった。
 数秒遅れて薪の横顔を見る。と、先程のは空耳だったのかと思い直してしまいそうなほどの変わらぬ無表情で、薪は前方を見据えたままだった。
 けれど、さっき見た桜を思わせるようなその唇が、開く。
「見れて良かった」
 そう発した一瞬だけ、彼の口元がほころんだ気がした。
 我知らず上気した青木の頬に、まだ冷たい春の夜風がふれる。
 せっかく薪が返してくれた言葉に、自分も何か言うべきだと思うが何も出てこない。

「じゃあ、僕はこっちだから」
 市街地の交差点に到着すると、薪は青木に背を向けたまま軽く手を上げ、雑踏の中へ踏み出した。
「俺もです」
 振り返りもせずに距離が遠ざかっていく、その姿から目を離せないまま、青木はようやく言葉を押し出した。
 もう彼には聞こえないと分かっていたけれど。
「俺もです。薪さん」
 桜を見れたことじゃない。あなたと、あなたと一緒に見られたことが、良かった。嬉しかった。
 そう、言えば良かったんだろうか。でも、俺みたいな部下にそんなこと言われても困るだけか?
 青木はなんとも困ったような顔をして、彼の真っすぐな背中が雑踏の中に消えゆくまで、ただ見送り続けた。

 -おしまい-

[あとがき]
【2017.04.23 (Sun)】 秘密 -the top secret-
093.「ホームワークが終わらない」

「ねえ、景ちゃん」
「はい」
「景ちゃんってば」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
「だーから、景ちゃんってば。もう。ねえ、そろそろ休憩しようよ」
景は、ようやく問題集から顔をあげて梓を見た。
その秀麗な顔に浮かんでいたのは、呆れと困惑。
「・・・梓ちゃんさあ」
「おやつ食べようよ、おやつ。ほら、わたしが買ってきた、おいしいおやつ」
両手でテーブルをぺしぺし叩いて、梓が催促する。
「間食は、まだ少し早いんじゃ・・・」
「昨日だって、今頃の時間に食べたじゃない。おなかすいたっ」
それを言うなら、昨日は、まだ控えめな要求の仕方だったのに。なぜ今日は、こうも積極的かつ高圧的なんだろう。
しかも。大学生にもなって「おやつおやつ」って。
「あと2ページで、この問題集終わるからさ。それまで待ってよ」
「わたしのこと。優しく、大事に、慈しみます。って言ったのは、どこの誰?」
景は、くっ、と息が詰まったような顔をした。
肩をすくめて、完了まで残りわずかとなった問題集を閉じる。
「わかったよ」






冷蔵庫から、本日の梓の手土産を取り出す。
昨日に引き続き、葛根市内の女の子の間では大評判らしい洋菓子店のシュークリーム。
ただし今日は、ひとくちサイズのミニシュークリームの詰め合わせだ。
ひとつひとつ丁寧に皿の上に盛りながら、リビングの梓には聞こえないように、景は「やれやれ」と嘆息した。
夏休みは始まったばかり。二人の勉強会も始まったばかり。
だが、否が応にも幼い頃の記憶が鮮明に蘇る。
小学校の夏休み最終日。「夏休みの宿題を本当に夏休みだけで片付けちゃう奴は馬鹿よ」などと豪語していた梓。
そして今現在。昨日から開始した勉強会は、梓の「そろそろ休憩しようよ、景ちゃん」という言葉によって、一日に何度も中断を余儀なくされている。
それでも景は持ち前の集中力でコンスタントに課題を片付けているが、梓の方は、一向に捗っていない。やればできるのに、やる気が起こらないという。
「・・・まったく。いつになったら終わるんだか」
というか。本当に、終わるんだろうか?






「そうだ景ちゃん。英語の課題終わった?」
「まだだよ」
「んー、じゃあ、そんな景ちゃんに英語のクイズ。あ、罰ゲームなんて無いから気楽に答えてね」
憮然として食事の手をとめる景の返事を待たず、梓はシュークリームを片手に、ネイティブかと思うような流石の美しい発音で出題を開始する。
「homework」
「・・・宿題、だろ。それぐらい中学生でも知ってるよ」
「じゃあ。detective」
「・・・探偵」
「retaliate」
「・・・・・・」
不本意ながらも律儀に応答していた景が、眉をしかめて言いよどむ。
「うーん・・・わからないな」
「『仕返し』よ」
そう解答して、クスリと梓は笑った。
なんとなく、何かを含んだような笑みに見えたが、それは相手が正解できなかったことによる、得心がいった勝利者の笑みなのだと、そのとき景は思った。
何個目かのミニシュークリームを口の中に放り込み、舌の上でとろける甘く冷たいチョコクリームを味わっていると、隣の梓が自分の顔をじっと眺めていることに景は気がついた。
彼女の手には、最後のひとつになったシュークリーム。
「・・・なに?」
「くち、あけて」
「は?」
「最後の一個、景ちゃんにあげる。はい、あーんして」
景は面食らって、ほんの僅か、体の位置を後ろへずらした。
「い、いいよ。君が食べるといい」
「そお?」
意外と素直に承諾して、梓はシュークリームをほおばり、ごくりと飲み込む。
だが、まだ景から視線をはずさない。
景の顔がこわばる。何かイヤな      相当にイヤな予感がした。そもそも、勉強中はテーブルをはさんで向かい合わせに座っていたのに、なぜ今の休憩を始めたとたんに突然、隣へ移動してきたのか。おかしいとは思ったのだ、一応。
梓の口が「あ」という形に開いた。
「景ちゃん、クリームがついてる」
「え?」
思わず、顔に手をやる。口元、あご、頬、いくらなんでもついてないだろうと思う鼻先まで、自分で触れて確かめる。何もついていない。
「まだついてるわよ」
わざとらしい声の調子に、景はぎくりとした。わざとらしさを隠そうともしていない。
ふと      脳裏をよぎる、先程の梓の言葉。
『仕返し』
目の前には、にっこりと微笑んだ梓の顔。それが、ふいに近付く。
景はてきめんに狼狽し、上半身をのけぞらせた。
「ちょ、ちょっと待て。梓ちゃん」
「だって、口の横にクリームが」
「ついてない、ついてない!」
「あら、自分じゃ見えないのよう」
とても魅力的な大変可愛らしい笑顔だと景だって思うのだが、「イヒヒ」という笑い声が聞こえてきそうな笑顔だ、とも思う。
昨日、景に一本とられたことが、そんなに悔しかったのだろうか。
いや、相当悔しいのだろう。景は激しく納得し、理解する。
だからといって、まさか、『仕返し』?
それを口に出して梓に確認する勇気は、今のところ景にはない。
「ほら、じっとして」
「いや、わ、悪かったよ。ごめん。あやまるから      
「やだ、何あやまってるの? 景ちゃんったら」
にこにこと笑顔を崩さない梓の手が、景の肩にかかる。
「うわぁっ」
「うわぁって何よ、失礼ね! 昨日わたしにはしたくせに、自分がされるのはイヤなわけ?」
本音が出た。
景の顔が、はっきりと引きつる。
「そんなことより、早く宿題を終わらせ・・・」
「景ちゃんの顔についたクリーム、とってあげたらね」
「だから、ついてないって!」
だが、ほとんど余裕のない状態ながらも景は、梓の頬がわずかに赤くなっていることに気づいた。気づいて      疲労困憊といった感じで全身から力をぬく。
「景ちゃん」
「・・・はい」
「じっとしててよ」
「・・・・・・はいはい」
「はいは一回」
「・・・はい」




ホームワークは、当分終わりそうになかった。



  -おしまい-

[あとがき]
【2007.04.23 (Mon)】 Dクラッカーズ
089.「触れた指先」

「素朴な疑問なんだけど」
長い足と腕を組んで、居眠りをするかのように顔を少し俯かせたままの姿勢で。
ジローは視線だけを動かして、ミミコの顔を見上げた。
ミミコが声をかけるまでは目を閉じていたから、本当に寝ていたのかも知れない。
「・・・あの、ホントにタダの素朴な疑問なんだけど」
「だから何ですか」
意味のない前置きはいいから言いたいことがあるならさっさと言ったらどうです私だって暇ではないんですよ他人の時間を何だと思ってるんです        と嫌味ったらしい言葉を浴びせられそうな気がして、ミミコはあわてて早口で話し出す。
「吸血鬼ってね、大概、首筋から血を吸うというイメージがあるんだけど」
そこまで言ってから、ジローの様子を伺ってみる。が、相槌も返ってこない。
でも目は開いていてミミコを見ているから、一応聞いているのだろう。
「・・・えぇと、この前ジローさんがあたしの血を吸った時は手首からだったわよね」
「そうですね」
「今までは、どこから吸ってたの?」
視線は眼前の少女に固定したまま、ジローはずっと俯いていた顔を上げる。
顔に穴があきそうなほど凝視されて、ミミコは自分の発言があまり適切ではなかったことに気付く。
「あ、別に変な意味じゃなくって、だから素朴な疑問なんだってば。一般論としてね、普通は、どこから血を吸うのかしら、って思って」
えへへへ・・・と僅かに照れたような笑い声を出して、手招きをするような仕草で右手をひらひらと揺らす。
        まあ、ひとむかし前の映画なんかですと、ほぼ100%、首筋からですね」
「そうよね」
「でもそんなの、吸血鬼それぞれでしょう」
あまり真面目にとりあっていない、ふわふわと宙に浮いたような口調。
だがミミコは相手の態度などおかまいなしに、背中を丸めてテーブルの上に身を乗り出す。
「でも、最近はどうだか知らないけど、ひとむかし前のセオリーとしては、吸血鬼って美女の首筋に噛み付くのが好きなわけでしょう」
「その方が絵になるからじゃないんですか」
「ということは、吸血鬼って、女好きな上にナルシストなのかしら」
「・・・・・・」
「あ、いえ違うのよ、ジローさんのことを言ってるわけじゃなくて、ほら、映画の話よ映画の! あは、あはははは・・・」
冷や汗をかきながらぱたぱたと手で顔を扇ぐミミコの前で、ジローはゆっくりと口の両端をつりあげて、笑う。
「いやはや、それにしてもミミコさんは、名前だけではなくて脳みそも随分とユニークかつユーモラスなモノをお持ちですね。素晴らしいことです」
「くっ・・・」
机の下で握り締めたミミコの拳が震える。
しかし、ここはひとつ気をとりなおして笑顔をつくり、話をもとにもどす。
「たとえば、指先をカッターで切ったりしてね、そこから出た血を舐めるのだって構わないんじゃないの」
「でもそれは、痛いでしょう」
確かに。吸血鬼に咬まれるのだって痛みを伴わないわけではないが、自分の皮膚を刃で傷つける時の痛みよりは、マシ・・・とも思える。
「あたしが言いたいのはね、別に首筋じゃなくたっていいと思うわけなのよ」
「ほう」
「指先だって、腕だって足だって頭だって、どこだっていいんでしょう」
「理屈で言えば、そういうことになりますね」
「じゃあ、鼻血は?」
「・・・それは、何か違う液体が混じっていそうなので遠慮したいですね」
「ふうん」
「何なんです、一体。小学生の自由研究じゃあるまいし」
「だから、言ってるでしょう。ただの素朴な疑問よ。ちょうど近くに吸血鬼がいるんだから、実際に確認してみるチャンスだと思って。うん、ちょっとは疑問解消されてスッキリしたわ。ありがとう」
一方的にスッキリされて礼を言われたところで、たいして嬉しくもない。
ジローは、やれやれ、と言いたげに苦笑して肩をすくめた。
「ミミコさん、首筋から吸ってほしかったんですか?」
「は? ちっ、がうっ! そういうコトではなくて!」
「それならそうと言ってくれればよかったのに」
「ちがうって言ってるでしょ! ちょっと、なに立ち上がってこっちに近付いてきてるのよっ」
ガタガタン!と派手な音をたてて、椅子を蹴り飛ばすようにしてミミコは立ち上がる。
「やはり、お世話になったお礼として、ミミコさんの願いを叶えてさしあげなければいけないかと」
「誰もそんなことお願いしてない! いいです遠慮します結構です間に合ってます!!」
すっ、と赤いスーツに包まれた腕が伸びてくる。
避ける間もなく頬に触れた指先の冷たさに、思わず一歩しりぞいた         瞬間、踵が何かを蹴飛ばした。
「わっ!?」
「うっひゃわぁ」
奇妙な悲鳴をあげて、素早くジローが飛びのく。
ミミコによって転がされたバケツから流れ出た水が、テーブルの足と倒れた椅子、そして彼女の靴を浸していた。
あーあー、これは掃除が大変だわ・・・と、うんざりした気分で髪をかきあげたミミコの耳に、批難めいた声が届いた。
「ひどいですミミコさん。あんまりです」
「わ、わざとじゃないわよ!っていうか、無事じゃないの」
バケツが倒れた衝撃で飛び散った水滴が、赤いズボンの裾をほんの少し、点々とエンジ色に染めている程度で、すぐさま安全な距離へ避難したジローの体には傷ひとつない。
そこまで恨めしい目つきで見られる筋合いはない。
「そもそも、そんな躓きやすい場所に水の入ったバケツを置いておくこと自体が間違っています」
「・・・あとで部屋の掃除をしようと思って、準備しておいたのよ」
「では、こんな何が転がってくるかわからない危険な部屋からは私は退散させてもらいましょう」
「・・・・・・う」
まだうら若き17歳なのに、どうしてこんな・・・まるで姑にいびられているような気分を味わなければいけないのだろう。
まったくもう、冗談にしたって、もっと笑える冗談にしてほしいわ。
バケツを拾い上げると、取っ手から滴る水滴が指先をぬらし、先ほど自分の頬に触れた指先を思い出す。
決して不快ではない        真冬の水のような凛とした冷たさだった。
「ああ、ミミコさん」
「まだ何かっ!?」
バケツを抱えて身構えたミミコに背を向けて。
ジローはひらりと、軽く手を振る。
「お掃除、がんばってくださいね」
「手伝ってあげなきゃかわいそうかな、とか思わない?」
「思いません。というか、これしきのことで『かわいそうかな』などと。ふっ、鼻で笑ってしまいますね」
がんっ、がんがらごん。
渾身の力をこめて投げつけたブリキのバケツは、皮肉げな笑みを覆い隠した扉にぶつかった後、なんだか情けない音をたてて床に転がった。



  -おしまい-

[あとがき]
【2007.04.23 (Mon)】 BLACK BLOOD BROTHERS
087.「儚い季節」
「あ、桜」
梓の目の前を、小さなピンク色のものがひらひらと舞った。
律儀な等間隔でずらりと並列している桜の樹を見上げると、また、ひらひらと、スロースピードで数枚の花弁が降ってくる。
「こないだ咲いたと思ったら、もう散っちゃうのかな」
「桜の季節なんて、あっという間だからね」
「まだ少し冬の寒さが残ってるのに」
ふと気がつくと咲いていて、知らないうちに綺麗に満開になっていて、いつの間にか、あっさりと散ってしまう。梓の中では、桜とは、そんな素っ気ないイメージだ。
「そうだ。景ちゃん」
道路沿いの桜並木の歩道を歩きながら、梓は顔を右へ向けて、幼なじみの少年を見上げる。
「お花見、しない? 散っちゃう前に」
        あれ?
梓がそう言うと、景は前方を見据えたまま、無愛想な無表情を僅かに動かした。
その顔は、どう見ても賛成ではなさそうだ。
「なにか都合悪い?」
「・・・いや」
ぼそっと低く呟いて、視線を前に向けたまま歩き続ける。
乗り気ではなさそうだが、はっきりと拒否はしていない。
ということは、別にイヤじゃないのだろうか? 無理やり、強引に、有無を言わせず誘ってしまっていいものか?
沈黙してしまった梓を、ちらりと横目で見やって。景は口を開く。
「計画は?」
「へ?」
梓のきょとんとした視線を頬のあたりに感じながら、景は淡々とした口調で続ける。
「花見をしようと持ちかけるからには、何かプランみたいなものはあるのかい」
梓は再び、言葉を失った。
つい先ほど、頭上の桜を見て思いついたばかりなのだ。
第一、その返事はOKということなのか、プランによっては譲歩してもよいということなのか、どう反応すればいいのか迷いながら、とりあえず梓は、最初に頭に浮かんだアイデアを口にする。
「千絵と水原くんも誘って、どこか桜がある公園で、やろうよ。夜桜を見るのも風情があっていいし」
「・・・やっぱり、そのメンバーか」
「にぎやかな方が楽しいでしょう?」
「おそろしいぐらいに限度を超えたにぎやかさになりそうだと思うけど」
君はそういう「にぎやか」さを期待してるのか?と言いたげな瞳で、景は梓の方を向いた。
少女のような顔立ちなのに愛想のかけらもない仏頂面で、どこか不機嫌そうに目を細めている。
その鈍色の瞳をまっすぐ見つめ返して、梓は言った。
「だって、お花見ができる期間っていうのは限られてるのよ。今晩にでも雨が降っちゃったら、もう、おしまいだし。儚い季節なんだから。散ってから後悔しても遅いんだからね」
景の様子を何となくおかしくは思いながらも、梓は話しつづける。
話しつづけながら、せっせと脳裏でプランを練ってゆく。
「もう来週末には全部散っちゃいそうだから・・・なるべく早く。できれば明日の日曜日とか」
だが景は、穏やかな口調ながらも、きっぱりと言った。
「僕は遠慮しておく」
「えっ、どうして!?」
今語ったプランが気に入らなかったのだろうか。
梓は内心あせる。そりゃあ、景ちゃんは大人数で大騒ぎするのが好きじゃないのは知ってるけど。けど。
「あの二人となら、いいじゃない」
「・・・・・・」
「ねえ、景ちゃんってば」
「あいつは、必ず酒を持参してくるぞ」
「え?」
「となると、花を見るどころじゃなくなるのは目に見えている」
「・・・そりゃ、水原くんはお酒も煙草も持参するだろうけど。でも、そんなの、今にはじまったことじゃないじゃない」
納得がいかないように少し不満げに唇と首を曲げる梓を見て、景は軽く嘆息した。
「ひとりで飲んでくれてりゃ、まあ平和なんだろうけどね。君はともかく、彼女が酔っ払っても僕は手に負えないよ」
「? 千絵のこと? やだ、わたしたちはお酒なんか飲まないわよ」
「断言できる?」
「・・・・・・」
水原のことだ、梓たちにも酒をすすめるに決まっている。酒といってもチューハイ程度なら、その場の雰囲気というか楽しく盛り上がった気分にまかせて・・・ひとくちぐらいなら・・・飲む、かも、しれない。
いや、でも、さすがに景を困らせるほど酔っ払ったりは・・・。
「花を見るのはキライじゃない。けど、それを酔っ払いのおかげで台無しにされるのは、好きじゃない」
「で、でもさ、アルコール類持込み禁止にしたら・・・。そんなにイヤがらなくたっていいじゃない」
だが景は、ふい、と視線をそらせて、言い放った。
「あいつらと一緒の花見は、ごめんだ」
とりつくしまもない。
景が梓の願いをここまで拒否するのは、実はけっこう珍しい。
とにかく、せっかくの花を愛でる場で酔っ払いの相手は御免被るということらしい。
「じゃあ。じゃあさ・・・」
言いかけて梓は言葉を止めた。何かを言いかけるように口をひらいては、また閉じる。
景が不思議そうに、梓を見た。
梓はうつむき加減で、胸の前で組み合わせた両手の指を、しきりに動かしている。
彼女が何やら胸中で葛藤しているらしいことは、景にもわかった。
      そんなに4人で花見がしたかったんだろうか?
考えてみれば、梓は7年間日本を離れていたのだ。久しぶりに故郷で見る桜は、彼女にとってはとても懐かしく、特別な意味を持つのかも知れない。
昨年の      帰国して初めて迎えた春は、花見どころではなかったし。
少し罪悪感を抱きかけた時、梓が意を決したように顔をあげて、景の方を向いた。
栗色のポニーテールが、くるんと跳ねる。
「じゃあ、二人でお花見しないっ?」
「いいよ」
        そっか。やっぱりダメ・・・って、いい!? え!? いいよ!? えええ!?
驚きは、すぐさま喜びにとってかわる。
「本当!?」
ころころと変わる梓の表情を、なかば眩しそうに、なかば呆れたように見つめながら、景は首肯する。
「言っただろ。花を見るのはキライじゃないって」
「じゃあ、いつにする? 明日は?」
さっきまでのしおらしさはどこへやら、とたんに元気と笑顔を復活させた梓に袖を引っぱられながら、景は微笑した。
「今日。これから」
「これから!? ・・・ずいぶんと急な話ね」
「だって、今夜にでも雨が降ったら、もうおしまいなんだろう」
「それはそうだけど・・・。うん、わかった。映画を観るのは中止にして、今からやろう! あっでもお弁当つくろうと思ってたんだけどな、しょうがないからコンビニで何か買っていかなきゃ。あ、場所どこにしよう?」
完全にいつものペースと明るさを取り戻した梓の横顔を眺めて、景は温かな苦笑を漏らす。
      どうあっても、お花見がしたいんだな。
それは確かに事実なのだが、景は少しだけ思い違いをしていた。
梓が望んでいるのは、「景と」一緒の、お花見。ただ、それだけのこと。
千絵と水原が同席しようがしまいが、景さえいれば彼女は満足なのだ。
普段は小憎たらしいほどに鋭いくせに、肝心なところで何故か鈍い。
すっかり上機嫌で完全に顔がにやけている梓だが、彼女の本音に景が気付いていないように、一方で、景がそこまで頑なに拒んだ本当の理由を、梓は知らない。
近頃の景は、あの二人      千絵と水原を、少しばかり苦手としている。
その理由は単純明快で、彼らは会うたびに、やたら楽しげに、ニンマリと笑って、しつこく追及してくるのだ。
デートは月に何回してるんだ? 二人の仲は進展してるのかしら? まさか景は梓ちゃんの前では、にこやかに笑ったりしてるのか? 梓さんは物部くんをちゃんと教育してる? 梓ちゃん、さっさと景を押し倒しちまえよ         
・・・よほど暇なのか、何か他に関心を向けるものはないのか、と思う。
いつもは適当に無視しているが、素面の時でさえ、あの口撃だ。酔って絡まれたら、さすがに景も太刀打ちできないと自覚している。
厄介な二人組が同席しない、梓と二人だけの花見であれば、断る理由は何もない。
景は、薄く小さな桃色の花弁が断続的に舞い降りてくる頭上を仰いだ。
梓の言ったとおり、春は      桜は、儚い。
ちょっと余所見をしているうちに、冷たく過ぎ去ってしまう季節。
偉そうに綺麗に咲き誇ってみせるくせに、すぐに散る。もろい。まるで自分みたいだ、と景は思ったことがあった。
「景ちゃん? 聞いてる?」
名前を呼ばれて、隣を見る。そこにいるのは「儚い」の二文字とは無縁に思える目の輝きを持った少女。
「ねえ。お花見の場所。今言った所でいい? もし、他に良い場所があったら・・・」
「いいよ。梓ちゃんの好きなところで。まかせる」
「ほんとに? 何だか、さっきからわたしの希望ばっかり言ってるんだけど。いいの?」
「ああ」
頷くと、梓は嬉しそうに笑って、再び喋り出した。お弁当は何にする?って言ってもコンビニ弁当だけど。おにぎりも好きだけど、あったかいおでんも捨てがたいわね。景ちゃんは、こういう時こそ栄養価の高いもの食べなきゃ。ねえ景ちゃんは何が食べたい?
「何でもいいけど」
と答えると、梓は突然「あっ!」と大声をあげた。
自己主張の無さすぎる返答を叱られるのかと、景は思わず身を引いたが、
「場所取りしなくっちゃ! 今何時だっけ。まだ良い場所残ってるかなあ」
「二人ぐらいのスペースなら、どこかに空いてるんじゃ・・・」
「甘いわよ景ちゃん! ほらっ、早く行くわよ!」
駆け出した梓に左手をつかまれ、ひっぱられて景も早足に、そしてすぐ駆け足になる。
「あ、そうだ」
走りながら、梓は横顔だけで振り向いた。笑っている。
「クッキーも買っていこうね」
言い終える前に前方へ向き直ったため、梓は見なかった。景が口元を緩ませたのを。
      まったく。女王様には、かなわない。
眼前で元気よく跳ねるポニーテールを見つめながら、熱を持った左手を景は強く握りしめた。



  -おしまい-

[あとがき]
【2007.04.23 (Mon)】 Dクラッカーズ
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