050.「Draw」   (青薪)

 
 薪が昼食の片付けを終えてリビングへ戻ると、カシャ、と軽い音が耳に届いた。
 音のした方向を見れば、窓辺に立つ長身の男がスマートフォンを構え、鈍色の空を眺めている。
 薪が声をかける前に、足音に気づいた男が振り返る。そして顔の横にスマートフォンをかざし、にこりと笑ってみせた。
「東京は雨だよ、って舞にメールしようと思いまして。写真とってたんです」
「ああ、九州は梅雨明けして晴れてるんだったな」
 しかし小学校低学年の女の子が、薄暗い雨模様の写真を送られたところで喜ぶものだろうか?
 そんな疑問が浮かんだが、きっと大好きな叔父からのメールも写真も彼女にとっては嬉しい贈り物なのだろうと、薪は微かに笑みを浮かべた。

「青木? 写真送らないのか?」
 薪と一緒に窓辺からソファへと移動した青木は、腰をおろしてからも液晶画面を見つめては指をさまよわせている。
 舞が最近持ちはじめた子供向け携帯電話にも、メール添付の写真を表示する機能はあるはずだ。今さら何を躊躇しているのかと、薪は首をかしげる。
「朝にも、おはようってメールしたんですけどね。今日は一日お友達と遊ぶらしいので、あまりメールして邪魔しない方がいいかなと」
 そこまで言いかけて、ふと顔をあげた青木は隣に座る薪へと無邪気な笑顔を向けた。
「そうだ薪さん。一緒に写真とりませんか」
 眉間にシワをよせる薪の態度には構わず、青木は言うや素早く肩を寄せるとスマートフォンを構える。
 カシャ、とシャッター音が鳴った時には、薪の顔とレンズの間には手のひらが差し込まれていた。
 まるでパパラッチを避けるスターさながらのリアクションに、青木があんぐりと口を開ける。
「ちょっ、薪さん、なんで顔かくすんですかっ」
「お前が急に盗撮みたいな真似をするからだ」
 雪子さんの言ってたとおりだ。写真嫌いもここに極まれり。胸中で呆れながらも、しかし青木は諦めない。
「薪さん、ほら、もう一回。はいチーズ」
「しつっこいな。お前の顔だけ撮って送ればいいだろう。貸せ、僕が撮ってやる」
「薪さんも写ってた方が舞も喜びますって。薪さんに会うって言ってきたし」
 青木が何気なく告げた一言に、薪の肩が強張る。
 途端に咎めるように変わった視線に鋭さまでが宿り、青木は思わず声を飲み込んだ。
「……お前。まさかとは思うが、僕に会いに東京へ行くとか家族に言ってないだろうな」
「それは……もちろん仕事だって言ってますけど。でも薪さんにお会いするとも言ってますよ。仕事で東京に来て、上司に会わないのも不自然でしょう」
 苦笑を伴ったその言葉を聞いて、薪の体から、ふっと力が抜かれた。
 けれどその目は伏せられ、青木を見ようとしない。

「薪さん」
 名を呼んで、片頬に手を添えて上を向かせると、青木は彼にそっと口づけた。
 すでにスマートフォンは手放しており、空いた右手を薪の腰に回して引き寄せる。素直に傾きかけた体は、しかし寄り添う直前に青木の胸を押して離された。
「これで写真はナシだな」
「これで、って……罰ゲームみたいに言わないでくださいよ」
 眉を下げる青木に、薪はくすりと笑いを漏らす。
 良かった、さっきの寂しい表情はもう消えている。ひそかに安堵して、青木はもう一度腕を伸ばして愛しい人を抱き寄せた。
 油断していた薪は思わぬ動きにあい、バランスを崩して咄嗟に眼前の広い胸へと両手をつく。その手を、青木の空いた片手が握りとる。
「あお」
 名を呼びかけた唇は塞がれて、さらに強く抱き寄せられた。
 一度だけ口づけたあと、青木の唇は顎から喉をつたい、首筋へと降りてゆく。
「バカ、やめろ。メール送るんじゃなかったのかっ」
「だって薪さんが写真とらせてくれないから」
「だからお前ひとりの写真を送れってっ」
 不毛な言い合いを交わすうち、薪の口から漏れる息遣いが徐々に変わっていく。
 すると鎖骨までおりていた唇は再び薪のそれを求め、甘く吐かれる息ごと塞ぐ。
「……んっ」
 微かな声が漏れる唇に何度も重ね合わせ、やがて満足したようにゆっくり離れると。「薪さ」と名を呼びかけた青木の顎を、薪が手のひらで突き上げた。
「でっ!」
 奇妙な悲鳴をあげた青木が、両手で口をおさえて身を折る。
「なっ、舌っ、舌かみまひたよっ」
「自業自得だろ」
 涙目で痛みを訴えても、「だからどうした」みたいな平然とした顔で返される。
 どうして恋人にキスしてこんな仕打ちに合わなければならないのか。あまりにもひどい。
 確かに少し強引だったかも知れないが、でも薪さんだって気持ちよさそうだったじゃないですか。とは怖くて言えない。
 心も痛いが、それより今は噛んだ舌先が本気で痛い。普通に殴られたり蹴られたりした方がまだマシかも知れない。
 じっと痛みをこらえている青木の様子に、どうやら同情をひくための芝居でもないと気づいたのか、警戒をといた薪が近寄り声をかける。
「血が出たか?」
「いえ、そこまでは……多分」
「消毒液、ぬってやろうか」
「口の中に、消毒液は、ちょっと……」
 手で覆っていない顔の上半分だけで苦笑いしてみせると、薪は無言で立ち上がり、足早にキッチンへと姿を消した。
 ……まさか、消毒液もってきませんよね。嫌だって言ったのに。いや、さすがにキッチンには置いてないか。
 薪が戻るのを待つ間も心休まらない青木だったが、1分ほどして姿を現した彼の手には消毒液ではなくグラスが握られていた。
 透明なグラスには氷が1つ入っており、動き揺れるたびにカランと涼し気な音を響かせている。
 ソファの座面に片膝をついた薪は青木を冷然と見下ろし、口を開けろとジェスチャーで示す。
 氷で冷やせということだろうか? 有無を言わせぬ眼差しと衰えない痛みに思考が麻痺して、青木は命じられるまま口をあける。
 そのおとがいに指をかけた薪の、整った顔が接近したかと思うと。気付いた時には口づけられていた。
「―――!?」
 えっえっ、なんで!? 嬉しいけどなんで!? 何が!?
 大混乱に陥る青木の、ひりりと痛む舌は差し入れられた薪の舌にあっさり絡めとられる。
 慣れ親しんだ彼の舌はとても柔く、そして何だかすごく―――甘い。
 あれ? 薪さんのキスって、こんなに甘かったっけ?
 ああでも、美味しくて、何だか薪さんが優しくて積極的で幸せ―――
 惚けながらも薪の腰へと手を添えたところで、それを合図のようにして唇が離された。
 次いで、まだ半開きのままの青木の口へと、先程のキスの優しさと真逆の乱暴さで何かが押し込まれた。
 今の今まで感じていた甘い温かさとは打って変わって冷淡なものが口内に突如侵入し、惚けた頭が一気に目覚める。
「ひゃ!?」
「患部を冷やしとけ」
 目をむきながらも必死に状況を確認すると、どうやら薪がグラスから抜き取った氷を青木の口へ放り入れたようだ。
 まさに飴とムチ……と愕然とした思いで、いまだ痛む患部の上で冷たい氷を転がしてみる。
 これショック療法ですか? とはさすがに聞けず、隣に腰をおろした薪を盗み見る。と、視線に気づいた彼がこちらを向いた。
「ハチミツは殺菌効果もあるし傷に効くんだ」
 ああ。あれハチミツでしたか。てっきり、薪さんを好きすぎて薪さんのキスを甘く感じる体質になってしまったのかと。いやそんな馬鹿な。
 複雑な思いを巡らせながら、やっと口中の氷を溶かしきった青木は一応問うてみる。
「でも、その……なんで口移しで? 嬉しいですけど……」
「氷やら蜂蜜瓶やらスプーンやら両手に抱えるの面倒だから。味見ついでに口で運んでやったんだ。お前、そういうの喜ぶだろ。でかい図体で泣かれても鬱陶しいし」
「薪さん……そうやってすぐ俺のこと泣き虫扱いするのやめてくださいよ」
 泣かないように飴を与えて喜ばそうなどと、まるで子供のご機嫌取りではないか。
 でも確かに嬉しさの方がかなり勝っているため、異を唱えることも出来ない。

「あっちにハチミツの瓶があるから。まだ痛むなら舐めてこい」
 青木は指し示されたキッチンの方角をしばらく眺めていたが、
「いえ。あっちまで行かなくても」
 ぼそり呟くと薪に顔を寄せ、薄く開いたその唇を、ぺろと舐めた。
「やっぱり。まだ甘いです」
 あまりに突然のことで反応できずにいる薪が何かを言うより早く、「実は」と沈痛な面持ちをつくってみせる。
「まだ痛むんです。だから……もっと、いただけますか?」
 何を、と問いたげに眉根を動かす薪の、濡れた唇に指を乗せて囁く。
「まだココに、残ってるでしょう? 甘いお薬」
 図々しさを咎めるように見上げてきた瞳は、青木がにっこり微笑み返すと、やがて諦めたように伏せられ逸らされた。
「……仕方ないな」
 写真も反故にしたし、その痛みも一応、自分にも原因の一端はあるし。別にいいけど、とぼんやり思いながら、薪は伸ばされた手に身を委ねる。
 溜息とともに与えられた了承の言葉に青木の目が細められ、艶やかに色づいた薪の唇を指先でなぞると、優しく口付けた。
 今度は青木から差し入れた舌で、相手の口腔に残る甘さを舐めとり味わう。
「……冷たい」
 息継ぎの合間に漏らされた非難の声に、まだ氷の余韻が口内に残っていたことに思い至り、思わず「あ、すみません」と謝って小さく笑う。
「すぐ温かくなりますよ。薪さんがあったかいから」
 胡乱げな眼差しで何かを言いかけた口を青木はまた塞ぎ、許されたからには心ゆくまで甘い薬を堪能する。
 薪の手は青木のシャツを掴み、けれど押し戻しはしない。
 背に回された腕とシャツの裾から滑り込んだ手に導かれるまま、薪は自分の体が後方へと傾いてゆくのを感じる。
 ―――少し甘い顔をすると、すぐ調子にのる。……まあ、別にいいけど。
 うっすら開いた瞼を薪はまた閉じて、唇を捉えたままの男の首へと両手を絡めて。
 ……次は、消毒液を流し込んでやろう。ソファの柔らかな弾力を背に受けながら、そう思った。


 -おしまい-



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青木&薪(秘密-the top secret-)

たまには、いちゃいちゃ青薪が書いてみたくなりました。
なんか少女漫画みたい……青木が少女漫画の男キャラみたい……と思ったけどそういえば青木は少女漫画の男キャラでした。

薪さんのデレタイム開始と終了のタイミングは難解すぎて、頑張れ青木、と思います。
噛んだ舌に蜂蜜を塗るというのは適当に思いついたんですが、念のためにググってみたら正解のようです。
 
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098.「ミステイク」   (青薪)

 
 最初は軽く触れるだけだったキスは、次第に深いものへと変わり、いつしか互いの言葉も息も奪っていく。
 もっと、とせがむように首へ回された腕の甘い重みに逆らえず青木の体が傾けば、二人を乗せたソファが柔らかな音をたてる。
 そうして息継ぎの合間に零れる吐息だけが響いていたリビングに、全く異質な音が不躾に割り込んできたのは突如のことだった。

 あ、と青木が思う暇もなく、彼の首に回った腕は一瞬で解かれ、寄り添っていた唇も身体も躊躇なく離される。
 無粋な電子音を無神経に鳴り響かせているのは、すぐ傍の卓上に置かれたスマートフォン。
 それを持ち主である薪が素早く手にとるのを、青木はただ茫然と目で追う。今の着信音は―――

「岡部か。なんだ」

 電話越しに部下と会話を交わす薪の、声も態度も冷静そのもので。
 すっかり理知的な瞳で宙の一点を見据えているこの人が、つい先刻まで蕩けた瞳で甘い息を吐いていたとは到底思えない。
 自分など、浅ましくも反応しかけてしまった箇所を鎮めるのでいっぱいいっぱいだというのに。
 ……まだキスだけで良かった。青木は密かに、安堵と哀愁の入り混じる溜息をこぼした。

 それにしても休日の、こんな夜更けに岡部から架電など珍しい。何か大きな問題でも起きたのだろうか。
 青木は黙したまま、流れる前髪に隠れた横顔を不安げに見守る。

 薪は何度か相槌を打ったあと、「そうか。分かった」と短く応えた。
 青木から見える横顔と、その声にも少しの穏やかさを感じて、ますます話の内容が気になる。
「青木?」
 ふいに薪の口から飛び出た自分の名前に驚いて、思わず身を硬くすると。
「青木なら僕の隣にいるが」
「!?」
 まっまきさん何を!? 何を言ってんですか!?
 青木は慌てて自分の口を押さえ、喉まで出かかった悲鳴をかろうじて呑み込む。

 ひとりパニックに陥り汗をかいている男の姿を目の端で捉えつつ、薪はフンと鼻を鳴らした。
「冗談に決まってるだろう。常識で考えろ」
 無感動に言い放たれたその台詞を聞いて、青木はぐったりとソファの背に寄りかかる。
 いや、だって、薪さん冗談言わない人ですし。
 絶対、岡部さんも俺と同じぐらい心臓とまりそうになってましたよ。
 もしや甘い時間を邪魔されたことへの、ちょっとした腹いせですか?
 青木はいまだ動悸のおさまらない胸に手をあてて、電話を終えた薪へと声をかける。

「お、岡部さんですよね、今の電話。……何だったんですか?」
「山城の退院が決まった。二日後だ」
 目を丸くした青木の口が徐々に笑みを形どっていくのを見て、薪も口元を緩めた。
「岡部も、こんな時間にと一応恐縮はしていたがな。一刻も早く知らせるべき吉報だろうと電話してきたらしい」
 あいつも声が浮き立ってたぞ。とクスリと笑ってから、ふと青木に向き直る。
「で。先にお前の携帯にかけたが、繋がらなかったそうだ。これからメールを入れると言ってたが」
「え? 俺にですか?」
「山城の件では、お前も現場にいたからな。岡部が気を回したんだろう」

 岡部の心遣いに、青木の胸と目頭がじわりと熱くなる。
 自分がついていながら山城に重傷を負わせてしまった、未然に防ぐことも出来たのではと、薪に叱責されるまでもなく青木自身、責任と後悔の念は消せない。
 しかし彼は青木の部下ではないし、そもそも別管区の青木に対し、岡部が勤務時間外に私用電話で一報することではない。にもかかわらず、所長である薪よりも先に急ぎ知らせようとしてくれた。感謝にたえない。
 そして、山城が無事回復し退院を迎えたことを心から喜ばしく思う。

「でも、俺のスマホに着信なんて……」
 首をかしげつつ、同じく卓上に放置していた自分のスマートフォンを手に取り操作すると。
「あ。充電が切れてます」
 何度ボタンを押しても電源が入らない。なんという初歩的なミステイク。苦笑を向けた先では、予想どおり薪が呆れ顔を作っていた。
 頭をかきながらソファから立ち充電を開始する青木の横を、細い身体がすり抜けるように通り過ぎる。
「もう寝る」
「えっ」
 確かに時刻は、じきに日付を越えようとしている。
 寝室へ向かう背にふらふらとついて行きかけた青木は、振り向いた薪に制されて足を止めた。
「お前は、使えるようになった電話で岡部に返事をするまで寝るな」

 ハイごもっともです。としか返しようのない指示を受け、青木は寝室に吸い込まれていく背中を未練げに見送る。
 このまま彼と一緒にベッドへ入ってしまいたい。しかし岡部の気遣いを無下にするわけには絶対にいかない。届いているだろうメールを確認し、きちんと礼を伝えなければ。
 ……でも。電話も終わったことだし、じゃあさっきの続きを……と思っていたのに。つくづく自分のケアレスミスが恨めしい。
 期待と目論みをくじかれた青木が肩を落とすと、まだ閉じられていないドアの隙間から琥珀石のような目が二つ、ひょいと姿を覗かせた。
「早くしろよ。あまり待てないぞ」
 からかうような、それでいて艶のある笑みを残して、薪の姿は完全に寝室へと消えた。

 寝室のドアは僅かに開いて、青木を待ってくれている。
 ああ早く、彼の気が変わらないうちに、彼が眠りについてしまう前に早く!
 と祈ってみても、無情に暗転を続ける画面が映すのは青木の情けない顔のみ。

 リビングにひとり残されて天井を仰ぐ大男の、甘く切なる願いがどうにか無事叶うのは数十分後の話。


 -おしまい-



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青木&薪(秘密-the top secret-)

薪さんがこんな冗談言ったら、青木と岡部さんの心臓止まってしまう。
という妄想のもと、その一言だけを薪さんに言わせたくて書いた小話です。
「冬蝉」が終わったら、次章では退院した山城氏の登場を期待してます。
 

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092.「ジューンブライド」   (青薪)


 窓の外は、今日も雨の匂いに満ちている。
 東京も例年より早い梅雨入りを迎え、早一週間。季節は少しずつ夏へ向かい始めているものの、じとりと湿り気を帯びた空気が身にまとわりつく、この気候を薪は好まない。
 日々続く雨天のみならず湿度の重苦しさに、自然と機嫌も傾いていく。
  
 ところが本州より一足早く梅雨入りした九州に住む男は、薪の隣で緩んだ笑顔を見せて、
「俺と薪さんと、場所は離れていても、梅雨の間は毎日同じ天気を見れて、同じ天気の下で過ごせるんですから。嬉しいです」
 などと言い、連日の雨天を満悦しているようだ。

 そんな台詞を吐かれたところで薪としては全く嬉しくもなく、ソファに身を沈めたまま窓越しの雨を眺めて嘆息する。
「青木。そういう台詞は女の子に言え」
「言う相手がいませんよ」
「いるだろ。雪子さんとか、舞ちゃんとか」
 かたや人妻、かたや幼児の名を例に挙げられ、どこまで本気なのか判断しかねて青木は苦笑する。
 そして「雨は好きじゃない」と呟く薪の機嫌があまり芳しくないことも再認識して、
「日本全国、6月は梅雨の季節ですから。仕方ないですよ」
 と宥めるように言い添えた。

「6月といえば」
 ふいに声のトーンが落ち物憂げな表情になった青木に、薪が訝しげな顔を向ける。 
「舞が最近、……将来の夢はジューンブライドって言い出しまして」
 あまりに予想外な話題に、さすがに薪も一瞬言葉につまる。
「それは……少し早くないか?」
「早いですよ。少しどころじゃありませんよ!」
 よくぞ言ってくれました、とばかりに声を大きくする青木を見て、薪の瞳には若干呆れの色が滲む。
「雪子さんがジューンブライドだったでしょう。家で写真を整理してたら雪子さんの式での写真も出てきて、それを舞に見せたらすっかり憧れちゃったみたいで」
「へえ。その様子じゃ、もう好きな相手がいるんじゃないか」
「いいえ、それはまだいないみたいですからっ」
 思わずムキになった言い方をしてしまったが、舞本人から聞いた答えだ。それを青木は信じている。というか信じたい。
 ただ、好みのタイプはマキちゃんみたいなひと、と言っていた。血は争えない。

「そうそう、舞からの伝言です。薪さんにもジューンブライドを見てほしいそうですよ」
「……おかしいだろう。叔父の上司が式に呼ばれるか、普通?」
「そこは舞の友人として、でしょう」
 でも。俺と、たぶん舞にとっても貴方は家族同然なんですけどね。と心の中だけで付け加えて、憮然とした表情の薪へ笑いかけた。
「だから。20年後か30年後か、いつになるか分かりませんけど。その日まで絶対に無病息災、平穏無事でいてください」
 薪からの返事はない。無言のままの彼を見返して、青木は肩をすくめた。

「俺たち二人ともデスクワークが主とはいえ、職業柄、危険がつきものなのは承知してますけど。そもそも薪さんはエライ人なんですから、もう無茶なことはやめてくださいよ」
「どの口が言ってるんだ……」
「まあ、確かに薪さんよりは俺の方が、ケガした回数多いですけど」
 「ケガした回数多い」の一言で済む話ではないと薪は思うのだが、無自覚にも程がある当人はつらつらと言葉を続けていく。
「もし。もしも薪さんに何かあって、舞のジューンブライドを見ていただけなかったら。舞も俺も怒りますよ」
 幼い姪をダシにしているようで、青木の胸が罪悪感に少し痛む。
 舞が絡むと薪はほだされやすい傾向にある。だからごめん舞、でも舞だって薪さんが大事でしょ?と胸中で謝りつつも、なりふり構わず話し続ける。

「その時は薪さん、舞に恨まれますからね。約束したのに嘘つき、って。警察官なのに嘘つき呼ばわりされていいんですか? あの可愛い舞に嫌われちゃうんですよ? 耐えられないでしょう? ほら、死ぬの怖くなったでしょう?」

 まるで子供だましのような脅し文句を半ば呆れ、半ば気圧されたように聞いていた薪の身体が、青木へと傾いた。
 いつの間にか肩に回された長い腕が、彼を引き寄せたのだ。

「だから。“死ぬのは怖くない”なんて、言わないでください」
  一年も前に、たったひとこと零した言葉を。この男が記憶していたことに驚いて、薪は詰めていた息を吐く。
「……おまえ、根に持つタイプだな」
「はい、薪さんには負けますけど。……いてッ」
 腕をつねられた青木が小さく悲鳴をあげる。
 けれど解かれることも緩むこともない彼の腕は、薪を包み続ける。
「怖がってください。もっとご自分を大切にして、そして長生きしてください」
 これ以上の言葉を紡げば、説教じみて彼の機嫌を損ねそうな気がしたので、青木はただ抱きしめる力を強くする。

 死ぬのは怖くない、なんて。
 どうしてそんな悲しいことを言うのか、薪の心の深淵は青木には分からない。
 彼はまだ、何も話してくれないから分からない。
 それでも今、自分の隣にいることを選んでくれた彼に、想いと願いを伝えることは出来る。それしか出来ない。

 返事を求めるように顔を覗き込んで目を逸らさない青木へ、薪は渋い顔で低く呻いた。
「……善処する」
 ようやく引き出せたその言葉は、彼にしては色よい部類に入る方だと、青木は少しだけ安堵の笑みを漏らす。

「一緒に、長生きしましょう」
「……20代で言う台詞じゃないだろ。年寄りくさい」
 ふふ、という優しい笑い声が揺らした薄茶の髪に、柔らかい口づけが落とされる。
 温かな腕に包まれるまま、広い胸に頭を預けて薪はそっと目を閉じた。


 -おしまい-


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青木&薪(秘密-the top secret-)

雪子さんがジューンブライドかどうかは不明です捏造です。

「増殖」1話(season0の5巻)での「僕は死ぬのは怖くない」って台詞がですね。
あなたまだそんなこと言ってるの( ;∀;)って胸が痛みまして。
この台詞に無反応な青木にも、はぁ!?ってなりまして。
(↑きっと彼は「ビデオ見て死ぬわけないから怖くない」って意味に受け取ったんでしょう・・・)

だから、こんな話を書くことで悔しさと切なさを発散させてみました。
 

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084.「傷痕」   (青薪)

 膝上の厚い書を読み終える頃には、窓の外は薄暮を迎えていた。
 部屋にさしこむ夕影が、ソファに沈めた僕の身体を薄暗い橙に染め上げている。淹れ立てだったはずのコーヒーも、テーブルの上で冷めきっているようだ。
 数時間もの経過に気付くと同時に、左肩にかかる重みへと急速に意識が引き戻される。
 心頭滅却すれば火もまた涼しとはよく言ったもので、自分の肩に乗った大きな頭のことなどすっかり忘れていた。
 忘れていたとはいえ、実際に長時間その重さに耐えていた肩は疲労を訴え始めている。
「青木、起きろ」
 肩を軽くすくめれば、そこに乗った青木の頭もぐらりと揺れて、うぅ、と低くくぐもった声が漏れ聞こえた。
「随分と長い昼寝だな」
 しかも人の肩を枕にして。と嫌味のひとつでも言ってやるかと首を回した先で、ようやく持ち上がった顔の、瞼の下からうつろな瞳が姿をのぞかせる。
 寝ぼけまなこがこちらを向くと、その視線の動きに引かれるかのように青木の左手が僕の右頬へと触れた。どうも視点が定まっておらず寝ぼけている様子だ。
 その寝ぼけた顔が、ふいに、くしゃりと歪んだ。
 今にも泣き出しそうな面持ちに、さすがに驚いて「どうした」と尋ねようとした僕の声に青木の声が重なった。
「ごめんなさい」
 唐突な謝罪は、僕が返す言葉を選んでいる間にも再び繰り返される。
「あの時は、すみませんでした」
「・・・どの時?」
 そう問い返した時には、ようやく青木の意識はまともに浮上してきたようだった。
 それでも眉を八の字に下げたまま、泣きそうな顔に変化はない。
「あの時・・・俺」
 言葉が途切れ、顔が伏せられる。伏せたまま、か細い声が続く。
「俺、薪さんに手をあげてしまって」
 一瞬、本当に何のことだか分からなかった。けれどすぐに思い至る。
 それにしても、随分と昔のことを持ち出してきたものだ。
「あったな。そういえば、そんなことが」
 平坦な声で告げれば、広い肩がびくりと震える。
 頬に添えられていた青木の手が力なく落ちて、ごめんなさいと、小さな声が3回、4回と繰り返される。
 放っておけば際限なく続きそうだったので、仕方なく伸ばした手のひらで青木の口をふさいだ。
「もういい」
 おずおずと上げられた黒い瞳を見返して、ひとつ息をつく。
「怒ってないから」
 手を離すと、しかしその口からはすぐに反論の語が飛び出した。
「でも」
「ていうか、何なんだ突然。当時の夢でも見たのか」
「・・・思い出したんです。忘れてたわけじゃないんです。でも今、薪さんの顔を見たら急に鮮明に思い出されて・・・俺、なんてことをしたんだろうって」
 再び、僕の右頬へと青木の手が添えられる。
 かつてその手が打った箇所を、見えない傷痕に触れるかのように怖々と、微かに震える指先がそっと包んだ。
 もともと傷など残っていない。痛みも、数時間足らずで引き消えた。とうの昔の話だ。
 ただ。
 あの時を思い出せば、頬ではなく胸がつきんと痛みを覚えるけれど。
 でもそれは、お前のせいじゃない。
「薪さん」
 つかの間だけ黙していた口が開き、思いつめたような目が真っ直ぐに僕を見る。
「俺を殴ってください」
「は?」
「他にお詫びのしようがありません。薪さんの気がすむまで殴ってください」
「いや、別に・・・」
「お願いします!」
 眼前で深々と頭をさげられ、謝罪どころかタチの悪い酔っ払いに絡まれた気分だ。こいつ、まだ寝ぼけてるんじゃないだろうな。
「もういいと言っただろう」
「でも、俺の気持ちが」
「お前の気持ちはどうでもいい」
「しかし薪さん」
「さっき僕が言ったことを聞いてなかったのか」
「お聞きしました。でも」
「“でも”、“しかし”、さっきから反論ばかりだな」
「いえあの、ですから俺の誠意      っ」
 ぐ、と鷲掴んだ襟を引き寄せて唇をふさぐと、ようやく鬱陶しい口説が止まった。
 ついでにちろりと下唇を舐めてやれば、青木の体がぴくりとだけ動く。
 唇を離して見上げた先にあったのは、僅かに朱のさした困惑顔。
「お前うるさい。人の話を聞け」
 そう告げて襟を解放しても、青木はそれ以上言い募ってこなかった。
 だが、しおしおと項垂れている様子は変わらない。まったく鬱陶しい奴だ。
「そんなに詫びたければ、今日の夕食はお前がつくれ」
「・・・え?」
「後片付けもな。それでチャラにしてやる」
 眼鏡の奥の小さな目が丸くなり、呆然と僕を見返している。
「嫌か」
「いえ。あの・・・本当に、傷、残ってませんか? 痛みません?」
「・・・まだ寝ぼけてるのか。見ればわかるだろう、お前の目は飾りか、節穴か? 火傷や刺傷でもあるまいし」
「だって薪さん、そういうの隠すの得意だから・・・アイタッ」
 生意気なことを言う大男の頭を引っ叩けば、ぺちんと軽い音がした。
「わかったなら早くしろ。ぐーすか寝てただけのお前と違って、こっちは頭を使いっぱなしで空腹なんだ」
「え。珍しいですね。薪さんが空腹なんて」
「MRI捜査に携わる人間として、脳を使うと空腹になるメカニズムぐらいはお前も当然知ってるだろう。脳の重さは体重の約2%だがエネルギー消費は全身の20%、つまり10倍のエネルギーを使う。脳のエネルギー源はグルコースのみだが、頭脳を駆使するとグルコースが減少し神経細胞が死滅する危険があるため脳が空腹の信号を」
「は、はいはい承知しました! 夕食の支度してきますっ」
 ひとの解説を遮って、青木はまるで追い立てられるように足早にキッチンへと向かった。
 その広い背が視界から消えたところで、知らず詰めていた息を吐き出してソファの背に深く体を沈める。
      傷痕を隠すのは、お前の方がずっと上手いくせに。
 その呟きは胸に押し込めて。
 キッチンから聞こえ始めた音に耳を傾けながら、乾いた喉に冷めたコーヒーを流し込んだ。


 -おしまい-


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青木&薪(秘密 -the top secret-)

あいつ薪さんにビンタしたこと謝ってないよね?と今でも時々思ってしまうのです。

その後の「好きです」で全部チャラになったんでしょうか。
別に彼を責めてるわけではなく(でもせめて一言謝れとは思う)、二人とも忘れていないだろうに、全く触れもせず、わだかまりなく元の鞘におさまってるのが凄いなあと思うので。

前回の「このまま夜明けまで」で青木が薪さんに肩枕したので、今回は逆パターンで。
ところで青木が沙羅に刺された傷痕(手術痕?)は、少し残るのか消えるのか気になります。
残るのなら、薪さんが青木の裸を目にするたび胸を痛めるじゃないですかああ・・・(公式でそんな展開見れたら死んでしまう・・・)
 

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097.「このまま夜明けまで」   (青薪)


 かくん、と自分の首が揺れた衝撃で目覚めれば、いつしかリビングで居眠りをしていたのだと、呆けた頭で理解する。
 少しずつ現実に戻り始めた意識の中で、左肩に感じる重さと温もりに、隣の人も眠っていることに気づく。
 ソファに座ったままの格好で、俺の肩に小さな頭をもたれさせて穏やかに寝息をたてている彼の姿に、我知らず頬がゆるんだ。

 もう何年も前のことだが、かつて彼は人前で眠ることを恐れていた。
 ひとりきりの自宅でさえ眠れない日々があったと、なんでもない昔話のように話してくれたのは随分と後になってからのことだった。
 けれど。
 今、こうして俺の隣で、彼は深く眠りについている。


 春も間近というのに、吐く息の白さは濃くなるばかりの金曜の夜。
 九州での室長業務を終えてすぐ向かった先は、東京の薪さんの自宅。深夜の訪問となったにも関わらず、ひと月ぶりに訪れた俺を寝ずに待っていてくれた彼に、嬉しさと申し訳なさを噛みしめる。
 今週、関東も九州も捜査が特別たてこむことはなかったものの、薪さんは所長として遠方へ飛び回っていたため、せめて今夜は早めに休んでもらおうと思っていたところだったのに。
 そうして風呂上がりに何気なくつけたテレビで流れていた洋画に、つい見入ってしまった俺に付き合うように薪さんも隣に座って眺めだし、ほどなく二人そろって居眠ってしまったようだ。果たして俺が映画を見ていた時間は15分にも満たなかった気がする。しかも肝心要のラストシーンを寝落ちして見損ねるというお粗末な結果になってしまった。
 過去に、この映画の登場人物に自分と彼の関係を重ねたことがあり、だからつい当時の様々な思いが蘇ってしまい目が離せなくて。
 もちろん、そんなことは色んな意味で恥ずかしくて彼に言えるはずがない。雪子さんが口を滑らせてなければいいんだけど。

 この人の日頃の気苦労を思うと、居眠りですら起こすのは忍びなく、このままそっと寝室へ運んでしまおうと決めた。
 男性としては華奢な部類に入るその身体は、それでも決して軽いわけではない。けれど彼を抱き運ぶことが可能な自分の体格が、今はこの上なく有り難い。神様に感謝したいぐらいだ。
 寝室のドアを足で押し開け、真っ白なシーツの上にその身をおろしたところで、わずかに開く薄紅色の唇から掠れ声が漏れた。
 少しだけ身じろぎをした薪さんの、長い睫毛で縁取られた瞼がゆるりと開く。
「すみません。起こしちゃいましたか」
「・・・青いヤツに抱えて運ばれる夢を見た・・・」
「? 青木、じゃなくて?」
「さっき・・・お前が見せた、舞台の」
「ああ」
 ようやく合点がいった。

 今夜の訪問後、風呂に入るまでの短い時間を使って、会えなかったひと月分の出来事を少しだけ語り聞いてもらった。
 ほぼ俺の姪っ子の話題に終始してしまったが、彼女と観たミュージカル舞台が最高に楽しかったことを力説しながら薪さんへ見せたフライヤーに大きく写っていたのが、舞台の主役である青い魔人だった。

 彼の身体の上にシーツを掛けて、俺も隣へもぐりこむ。
 伸ばした腕で抱き寄せると、俺よりも小柄なその身体はすっぽりと腕の中におさまった。
 まだうつろな眼差しで素直に身を預けてくれている姿が愛しくて、ゆっくりと静かに問いかける。
「薪さんは、あの舞台作品のストーリーをご存知ですか?」
「・・・ああ、ランプから出てきた奴が、なんでも願い事を叶えてくれるんだろ」
「それが、“なんでも”じゃないんですよ」
 少しおどけた口調で返すと、うつむいていた彼の頭が、ふと持ち上がる。
「一応ルールがありましてね。人を殺めること、死んだ人を生き返らせること、人の気持ちを操ることはダメなんです。それに、叶えてくれる願いは3つだけ。願いの数を増やすのもダメです」
「なんだ、万能じゃないのか。ケチくさいな」
 夢のない台詞を吐いてこちらを見上げた彼の瞳と口元は、わずかに皮肉げな笑みを宿している。
「薪さんだったら、何を願いますか?」
「部下の能力向上」
 冷静な即答に、思わず息がつまり咳き込みそうになる。
 すっかり目覚めた様子の彼は「いや、こういうことは他力本願ではなく本人たちの努力に任せるべきだな」などと平坦な声で呟いている。
 あの、それ、わざわざ魔人にお願いしないといけないことですか?

「ほ、他には?」
 話を逸らすべく重ねて尋ねると、軽い溜息とともに漏らされた声が、薄衣越しに俺の胸をくすぐった。
「世界平和、とでも言っておくか」
「それは素晴らしいです。でも実現したら、俺たちの仕事は用無しになっちゃいそうですね」
「そんな理由での失職なら構わないだろう」
 そうですねと笑いを含んだ声で返すと、琥珀色の瞳が再びこちらを見上げた。
「青木はどうなんだ」
「俺はですね。まず家内安全。そして、毎日薪さんに会いたいです」
 正直な思いを口にしたのに、当の薪さんは何とも形容しがたい複雑な表情をしている。恋人に毎日会いたいと言われて通常見せる顔ではないと思う。
「おまえ、意外と夢見がちなタイプだな。まあ若いからな・・・」
「いえいえ、年齢関係ないですよっ。愛さえあれば」
「もっと他にあるだろう。捜査能力向上とか、昇進とか、部下の成長とか」
「薪さん、そんな・・・現実的な枯れたこと言わないでくださいよ。今日だって久しぶりに会えて俺、すごく嬉しいんですから」
「・・・泣くなよ」
「泣きませんよっ」

 強気に言い返したものの、ちょっと泣きたい心境に陥ったのは否定できない。情けない顔をしているかも知れない俺を見返す薪さんが、微苦笑を浮かべた。
「僕もだ。会えて嬉しい」
 その一言で、とたんに動悸が跳ね上がる。我ながらゲンキンなもので、彼を抱く腕に力と熱がこもるのを自覚する。
「・・・3つ目の願いはですね。薪さんが、悲しむことも傷つくことも泣くことも怒ることもなく、いつも穏やかに笑っていられる世界をつくることなんです」
「そんな刺激のない毎日おくってたら、あっという間にボケそうだ。お前、僕を若年性認知症にする気か」
「いやあ、薪さんなら大丈夫でしょう。俺も傍にいますし」
「創造主でもなければ無理だろ、そんな都合のよすぎる世界」
「ですねえ。でも、もしも叶うのなら、そのためなら何でもします」
「じゃあ、警察官やめれるのか」
「はい。薪さんの幸せに繋がるのな、らっ」
 言い終える前に、にゅっと伸びてきた手に鼻をつままれた。つまむどころか強く引っ張られ捻られている。痛い、と声に出して抗議できないのは腕の中から見上げてくる瞳の怖さに声を失くしたからで。あ、やばい、このひと怒ってる。ていうか薪さんから言い出したのに、誘導自問みたいな真似カンベンしてください。
「そんな馬鹿なこと、二度と言うな」
「はい。すみません」
 鼻詰まり声での謝罪の後、俺の鼻を解放した細い手は、そのまま脇を通り背中へと回された。触れ合う体温が上昇していく。
「・・・何でも、するのか」
「ええ。辞職以外であれば、何でも」
「じゃあ」
 背に回された手がパジャマを掴み、ふいに薪さんの顔が近づく。息がかかるほどに寄せられた艶やかな唇が、小さく囁いた。
「キスしろ」

 はい、と囁きかえした唇を、彼に重ねる。
 ついばむように何度も軽く重ね合わせて柔らかな感触を味わった後、角度を変えてゆっくりと深く、深く口づける。
 それは決して長いキスではなかったけれど、彼の手に胸板を押されたところで唇を離した。
 薪さんの瞼は半分閉じられ、伏せた睫毛が琥珀の瞳を薄く隠している。睡魔に引き込まれているのか、あるいは蕩けているのか。その両方かも知れない。
 今夜は、これだけでいい。続きは明日の夜に。

「他にご要望は?」
 ふーう、と長い溜息とともに、薪さんの額が胸に押し当てられる。「眠い」と低い呟きが聞こえて、背に添えられた手が俺のパジャマを握りしめた。
「このまま夜明けまで、僕の抱き枕になれ」
「はい。仰せのままに」
 ちらりと見えた彼の瞳は、もう閉じられている。
 俺は微笑んで、腕の中の人が幸せな眠りにつけることを願い、あたたかな身体をそっと抱きしめた。

 -おしまい-



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青木&薪(秘密-the top secret-)

青木の台詞「薪さんが悲しむことも~」から最後までの、一連の夢を見まして。
よし二次創作で書いちゃえと思いまして。

この台詞に行き着くまでの蛇足な話を考えるうち、ジーニーの3つの願いに絡ませちゃえ、あっダメだ、あの二人が一番に願うことなんて亡くなった人が生き返ることじゃん・・・この二人にこの話題はダメだろ・・・と色んな意味でヘコんでしまい。

でもアラジンだってあれだけ母さん連呼しながらも気にせず他の願い事言ってるし(そりゃ秘密とは事情が全然違うけど)、じゃあ少しだけ先の未来の二人なら、こういう会話もできるのでは?と、えらく遠回りして書き出した話。←言い訳が長い。
本編での薪さんは「キスして」って言いそうだけど、原罪以降の薪さんは「キスしろ」って言いそう。

そんなわけで劇団四季ミュージカル「アラジン」ネタを趣味で絡めました。
主人公はアラジンですが主役はジーニーです多分。
瀧山ジーニーの愛らしさと素晴らしさは一見の価値ありなので是非「アラジン」見てください。
 

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