094.「気まぐれな熱情」  (青薪)

 
 きっかけは、とても些細なことだった。
 些細なことで、折角の休日なのに薪さんの機嫌が斜めに傾いた。
 そして偶々、俺も少しだけ虫の居所が悪かった。だからいつもの一方的な物言いに今日は納得できず、折れることができなくて。
 つまり結局のところ二人で口論になり、薪さんの逆鱗に触れた俺は今夜ベッドで眠ることを許されず、今こうして狭いソファで一人さみしく横たわっている。
 ・・・冬じゃなくて良かった、と思いながら、「青木はコレ一枚で充分だろ」と布団がわりに与えられたブランケットを肩まで引き上げて嘆息した。
 密閉性の高いマンションのリビングであることに加えて、暖春のおかげでコレ一枚でも耐えられる。胸中ではブリザードが吹き荒れてるけど。

 言い訳になってしまうが、今担当中の捜査案件がなかなか進展せず、連日連夜の残業で疲労と苛立ちが積もり積もっていたのだと思う、我ながら。
 いつもなら不機嫌な薪さんに言い返すなんて恐ろしいことは本能で回避しているし、条件反射のように口から飛び出る謝罪の言葉が、今夜は出せなかった。
 結果、売り言葉に買い言葉。
 どっちが悪いってことも無いんだよなあ・・・でもあんなに怒ることないのに。薪さんの気まぐれにも困る。
 完全に睡魔に見放されてしまい、静まりかえった暗闇でうじうじとした考えを巡らせていると、背後で微かな物音が聞こえた。
 思わず息を潜めると、それは眠っていれば気づかないほどの小さな、ドアが開く音。位置的に寝室のドアだ。
 とっさに目を閉じて、規則正しい寝息を装う。つまり寝たふり。薪さんにどこまで通用するか分からないが、この暗闇なら誤魔化せるだろう。いや、別に誤魔化す必要ないんだけど。でも気まずいし。怖いし。
 しかし足音が聞こえてこない。もしかして、ちょっと俺の様子を覗いただけ?と思いかけたところで、ふいに間近に気配を感じた。
 枕元の位置に、誰かが立っている。って、この状況だと薪さんしかいないんだけど。仄かに薪さんのシャンプーの香りがするし。
 ていうか今この瞬間まで、足音も人の動く気配も皆無だったんですけど。まるで瞬間移動したみたいだ。何なのこの人。

 枕元に佇む人影は、ただじっとこちらを見下ろしているようだった。じっと、じっと・・・・・・な、長いな、いつまでいるんですか?
 やばい、寝たふりがバレてる?と内心焦りかけた時、ようやく空気の移動する気配がした。同時に、彼の人の残り香が鼻腔をくすぐる。
 慎重に薄目をあけてみると、眼鏡をかけていないため薄ぼんやりとした視界の中、キッチンに明かりが灯るのが見えた。しばらくののち、水の流れる音が聞こえてくる。
 ・・・あ、水を飲みに起きてこられたんですね。俺、怒りがおさまらない薪さんに寝首をかかれるのかと一瞬本気で不安になりました。
 妙な緊張感から開放されたためか、水音を聞いたためか、急に喉の乾きが気になってくる。このまま寝たふりを決め込んでも、そのうち咳き込んで墓穴を掘ってしまいそうだ。
「・・・・・・」
 数十秒の逡巡の末、俺は意を決して身を起こした。
 足音はわざと隠さずにキッチンへと入った時、薪さんはシンクの前に立ち、こちらに背を向けて喉を潤しているところだった。

「薪さん」
 この人のことだからとっくに気づいているはずだが、一応声をかける。
「俺も、水、いただいてかまいませんか?」
 ・・・えっと、無視ですか?
 相変わらず彼からの反応は無く、空になったグラスがシンク横の調理台へと置かれて、カンっという強めの音を響かせた。
 思わずビクリと首をすくめてしまったが、眼鏡はずしたままで良かった。怖くてまともに見れないし見たくない。
 それでも水分を欲しているのは本当なので、再度、勇気と声を振り絞る。
「あの、水を・・・」
「わかった」
 その低く短い声が告げたのは一応肯定の言葉だったけれど、なんとなく素直に喜べずに立ち尽くす俺の前で、彼は先ほど置いたばかりのグラスを手にとり蛇口から水を注いでいる。
 そして艶やかな唇をグラスに付けると、ひとくちで再びその中身を空にした。
 用無しとなったグラスは、カンっと同じ音をたてて      さっきより音が強い気もするが      置かれる。
 ・・・そうですよね、俺に汲んでくださったのかと一瞬期待した俺が馬鹿でした。
 ではとりあえず了承はいただいたし自分で汲もうと一歩踏み出したところで、ずっと背を向けていた薪さんが振り向いた。
 口を真一文字に結んで、少し怒ったような目で見つめてくるので、つい足が止まる。
 止まった俺と対照的に動き出した薪さんは、キッチンの出入口ではなく、なぜか俺の方に近づいてくる。
 戸惑って見下ろす俺の首元へと細く白い手が伸ばされ、パジャマの両襟を掴まれた。
 えっ背負い投げ?俺そんなに怒らせました?という考えが脳裏をよぎった次の瞬間、強い力で襟元を引かれ、それに引っ張られる形で下降した口元に、柔らかな唇が押し付けられた。
 と同時に彼の舌で唇を割られると、合わさった口元から顎へと冷たいものが流れ落ちる。

「・・・・・・!?」
 状況が飲み込めず目を白黒させていると、焦点があわないほどの至近距離に、瞳を閉じた薪さんの顔があった。こんな時なのに、やはり綺麗だなと見とれてしまう。
 そんなことを思いながら、ようやく気づいた。
 ・・・ああ、これ、水だ。
 さっき薪さんが口に含んだ水は、その大半が彼の口から俺の口内へと届けきることが叶わずに、二人の顎から首へ、さらに胸元へと伝い落ちていった。
 いつの間にか、互いの手は互いの背に回され、すでに目的の補給水分は流れ切ったというのに、深く重ねた唇はまだ離れられずにいる。
       しばらくして、吐息をもらしながら、ようやく二人、唇を離して。
 それでも体は抱きしめあったまま、胸元の冷たい感触に、つい苦笑が漏れる。
「ずいぶん零れちゃいましたね。もったいない」
「おまえがちゃんと飲まないからだ。ヘタクソ」
「すみません」
 今度は、するりと謝罪の言葉が出た。
 身を寄せ合った部分から、彼の体温が伝わってくる。この温もりだけで、濡れた服も乾いてしまえばいいのに。
「ねえ薪さん。一緒にソファで寝ませんか?」
「いやだ」
 即答された。
 そ、そうですよね・・・わかってました調子にのりましたごめんなさい。
「ベッドがいい」
 ・・・その言葉の意味を理解するのに数秒かかって、慌てて腕の中の人を見下ろすと。
 俺の胸に押しつけられ隠されたその表情を伺い知ることはできなかったし、サラリと流れる髪の間から見えた耳朶も首元も、変わらず陶器のように白かったけれど。
 自分の背に回された彼の手に、ほんの僅かだが力と熱がこもり、そして自分の頬まで熱を帯び始めたことにも気づく。
「はい。わかりました」
 少し俯いて、彼の耳元でそう囁いて。
 大切に抱き上げた人の熱情を感じながら、俺はゆっくりと寝室へ足を向けた。

 -おしまい-

青木&薪 (秘密 -the top secret-)

まさか自分が男同士のちゅーを楽しく書く日が来るとは
人生ってわからない・・・。
脳内では絵で完成されてるのに、それを文章で表現することの難しさ。
下から上への水の口移しは無理だと書きながら思いました。

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