083.「鼓動が限界」  (青薪)


 流れ落ちる冷水で顔を洗って、眠気も一緒に洗い流す。
 ようやく視界と思考がクリアになったことに満足してタオルで顔を拭った瞬間、気配を感じるより先に腰にまわされた手によって、薪の体は後方へと引き寄せられた。
「!?」
「薪さん、おはようございます~」
 間延びした男の声が、薪の頭上から降ってくる。
「・・・おい、寝ぼけてるなよ青木。離せ」
 苛立ちの滲む声で、低く呻く。
 ただでさえ男二人には若干手狭な洗面室で、胸元に両手を拘束されたような体勢で後ろから抱きしめられているため、思うように身動きがとれない。
 しかも、相手は寝ぼけているくせに力だけはしっかり込めているのだから始末が悪い。
「寝ぼけてませんよぉ。薪さんいい匂いだなぁ~」
 ふにゃふにゃと間抜けな声を出す青木を鏡越しに睨みあげると、髪に寝癖をつけた大男は目を閉じて夢見心地といった表情で、薪の頭に鼻と口をうずめている。
「・・・目を、覚ませ、このバカっ」
 怒鳴って向こう脛を蹴りつけると、「いてっ」という短い悲鳴とともに、ようやく鬱陶しい腕が解かれた。



「まったく、朝っぱらから鬱陶しい」
 仏頂面で新聞を読む薪の前で、青木はしおらしく項垂れながらトーストをかじっている。
 ダイニングテーブルを間にはさみ、二人向かいあう形で座っているのだが、薪がまったく目をあわせてくれないことも青木を項垂れさせる原因の一つになっている。
「おまえ、入庁して何年目だ? いいトシした大人が朝からみっともない、暑苦しい。シャキッとしろっ」
 半分寝ぼけていたけど、半分は起きてたんです。とは言える雰囲気ではない。
 たとえ半分でも正気で抱きついたと知れたら、余計に怒られそうな気がする。
「すみません」
 青木が素直に謝ると、先に朝食を終えていた薪は新聞を置いて立ち上がり、自分の皿とコーヒーカップを手にキッチンへと向かった。
 むすりとした顔のまま食器を洗いだして間もなく、背後に妙な圧迫感を感じて、ちらりと振り向くと。食器を手にした青木が、薪の背にぴたりと張りつくように立っている。
「・・・一応きくが、何をしているんだ」
「薪さんが洗い終わるのを待ってます」
 そう言って屈託のない笑顔を見せるが、自分より20cm以上も長身の大男に背後に立たれると、手元が陰るしたいへん鬱陶しい。
 こめかみが引きつりかけたところでタイミングよく洗い物が終わり、気をとりなおして姿勢を正す。
「自分の分は洗っておけよ」
 そう一声かけて、青木の横をすり抜けてリビングへと戻った。



 ソファへと身を沈めた薪が再び新聞に目を通し始めると、ふいに手元に影が落ち、次いで左隣に腰をおろす長身の人影を横目に捉える。
 そのまま横目で見やると、青木は文庫本を手にしており、栞を挟んだページを開いて静かに読書を始めた。
 薪は視線をもどし、しかし違和感を抱いて、僅かだけ顔を左側へ向ける。
 ・・・なんか、近すぎないか?
 密着の一歩手前、といった今にも触れ合いそうな絶妙な距離感で青木が隣に座っている。新聞を少し広げただけで肩が接触しそうだ。
「・・・・・・」
 薪は何かを思考するように一点を見つめたあと、新聞を手放して立ち上がり、寝室へと足を向けた。そのままドアを開けて中に入り、室内の書棚の前に立つ。
 幅広い書棚に隙間なく並ぶ背表紙を左から右へと指で追っていると、その指の向かう先が、ふいに陰る。と同時に、またもや感じる圧迫感。
「・・・一応きくが、なんだ?」
「うわあ。改めて見ると、薪さんの蔵書は専門書が充実してますねえ。基本書から海外書籍から、どこの国の文字か全然分からないのまで・・・」
 もう振り向く気にもなれずに低い声で問いかけると、相変わらずの明るく能天気な声が至近距離から返ってきた。
「興味があるのか」
「いえ、そういうわけでは」
 答えながら薪の両肩に置かれた大きな手は、彼を体ごと振り向かせたあと、肩から頬へとすべるように移動する。
 その手に促されて上を向いた薪の無防備な唇は、優しく降ってきた青木の口づけを受け止めた。
 手を払いのけなかったのはもう面倒だったからで、しかし軽く触れるだけのキスが離れた直後、調子づいた長い腕に抱きすくめられて薪の片眉がピクリと跳ねあがった。
「うっとうしい」
「いてっ、薪さ、ちょっ」
 薪の手のひらで強く顎を押し上げられ、青木は渋々、腕の中の人を解放する。
「なんなんだお前は、どうしてそんなにくっつくんだっ」
「えー、いいじゃないですか。恋人同士なんですから」
「そういう問題じゃないっ」



 二人が付き合い始めてから、一年近くが経とうとしている。
 休日はお互いの自宅を行き来して過ごすことが多く、昨日の土曜日からは青木が薪の自宅マンションへ泊りに来ている。 
 やけに青木がスキンシップを取りたがるようになったのはいつ頃からだろうかと、薪は思い返してみる。が、驚異の記憶力を誇る彼にもよく分からない。気づいた時には、そうなっていた。
 付き合い始めた当初はそんな行動は見られなかったため、青木なりに遠慮していたのかも知れない。しかし今やそんな殊勝さなど感じられず、勿論プライベート時に限るが隙さえあれば触れてくるしキスするし抱きつくし。そういうのは夜とかベッドの中だけでいいだろう、と薪は思う。

 毎日職場で顔を合わせているとはいえ、週末の限られた時間の逢瀬で身体を寄せ合いたくなる気持ちは薪も理解できる。
 日常生活の中で青木に触れられるのが嫌なわけではないが、時と場合によると言うか、たとえば一緒にテレビを見たり音楽鑑賞をし寛ぐ時などに肩を寄り添わせるのは構わない。
 だが休日の朝っぱらから190cmの男に間をおかずベタベタとカルガモの雛のようにくっついて歩かれては、さすがにたまったものではない。



「おまえ、ほんとにベタベタするのが好きだな・・・」
 結局、リビングのソファに二人並んで腰をおろして。膝上に置かれた本のページを右手で繰る薪の、もう片方の手は青木の右手と繋がれている。
「そういや、キスするのも好きだよな。雪子さんともそうだったのか」
 薪が視線も動かさず無表情で淡々と発した言葉に、てきめんに青木の全身が強張る。
 頬をひきつらせて視線を泳がせながら、口中でもごもごと「そ、それ言います?」と呟いている。
 その狼狽ぶりを横目で意地悪く眺めながら、しかし予想よりも早く立ち直って顔を上げる様子に薪は胸中で舌打ちした。
「違いますよ」
「雪子さんとは違ったのか?」
「い、いや、そうじゃなくてっ。俺が好きなのはキスじゃなくて「薪さん」なんです」
 先刻の動揺など微塵も感じさせない真剣な面持ちで告げて、繋いだ右手に力をこめる。
「薪さんだから、抱きしめたりキスしたくなるんですよ」
 思わず絶句する薪の前で、青木はにこりと笑った。しかしすぐに焦ったように早口で付け加える。
「その、雪子さんとは普通というか、日常的にべたべたしたいとは別に思わなかったですよ。お互いもう大人ですし」
「・・・僕も大人だが」
 というか僕と彼女は同い年だが。
 不覚にも言葉を失っていた薪が、ようやく苦々しく呟く。だが相手の耳には届かなかったのか、青木はだらしなく相好を崩している。
「でも薪さんとは、いつも触れていたいと思うんです。・・・そんなイヤそうな顔しないでくださいよ」
 眉間にシワを寄せて見返してくる薪へ、少しだけ苦笑いをして青木は身を寄せた。
「こうやって」
 伸ばされた青木の両腕が、優しく薪を包み込んだ。抵抗されなかったことに安堵して、少し力をこめて引き寄せる。
「薪さんを抱きしめるたび、俺、すごくドキドキしてるんですよ」
「・・・・・・」
「今も、もう鼓動が限界です」
「僕は我慢の限界だ」
 邪険に腕を振りほどかれた青木が「ああっ」と悲しそうな声をあげるのを無視して、薪はソファから立ち上がった。
「今朝から何度言わせる気だ、でかい体でくっつくな、暑苦しいっ。これ以上その能天気な思考で僕の読書の邪魔をするようなら」
 ・・・どうなるか、わかるな?と鋭い眼光だけで言い渡して。
 彼が薄茶色の前髪を苛立たしげに掻きあげると、その額にたてられた青筋を目にした青木は息を呑んでこくりと頷く。
 先刻までとは全く異なる理由で鼓動が早鐘を打ちはじめ顔色を失いそうな青木に背を向けて、薪は清々とした足取りで寝室へと姿を消した。

 -おしまい-

 

青木&薪 (秘密 -the top secret-)

自分で書きながら青木が大変鬱陶しい・・・。
そして薪さんが何だか枯れている。

原作の青薪が本当にくっついたら、青木こんな感じになりそうという妄想。
薪さん大好きで、非常識に前向きだから。
絶対に雪子さんの時よりもベタベタしそう。
そして薪さんも青木大好きだけど、ベタベタするのは本気で額に青セン入れて嫌がりそう。

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