063.「彼のネクタイ彼女のルージュ」   (青薪)

 いつもの通り明朗快活に訪問の挨拶を告げると、すでに顔なじみとなって久しい職員たちは笑顔で迎えてくれる。
 その笑顔が最近は苦笑と愛想笑いの二種類へ変貌しつつある気もするが気のせいにしておこうと、持ち前のポジティブ思考で青木はひとり頷いた。
 もはや作り笑いすら放棄した複雑きわまりない微妙な表情で「お前また来たのか先週来たばっかだろ暇なのか九州どうなってんだ」と言外に物語っている岡部に九州土産を手渡して、青木は寛ぐようにスーツのボタンを外しながら本日の訪問理由を述べる。
「第八管区のお客様のアテンドで東京に来ましてね。先程、成田でお見送りを終えたところで。時間があったのでご挨拶に立ち寄らせていただきました」
 それは確かに事実なのだろうし至極もっともな理由に聞こえるが、いやいやいや見送り終えたらさっさと九州帰れよ何で成田の隣にあるわけでもない他管区に立ち寄るんだよ呼ばれてないし用もないのに。と喉まで出かかった言葉を年の功と優しさで飲み込んで、しかしふと視線を下げた岡部は瞠目した。
「あ、あお、おま」
 どもりながら口を開閉している岡部と、彼の手から土産を受け取るべく近寄った波多野までもがこちらを凝視したまま絶句し動きを止めている様子をおかしく思わないでもなかったが、まあいいかと受け流し、青木は「薪さんにご挨拶してきます」と当然の行事のように告げて所長室の扉をノックする。
 扉の向こうから返された声に胸を高鳴らせつつ、「ちょ、待て、あお」という岡部の制止を広い背中で跳ね返して、彼は足取り軽く所長室へと踏み入った。


「失礼します! お久しぶりです、薪さん」
 扉が開くと同時に聞こえた声に、薪は思わず書類から顔をあげた。開口一番、
「お前、何しに来た?」
 驚きと呆れと冷淡をバランスよく混在させた声色と表情をもって、にこやかに近づいてくる部下を見返す。
 この、綺麗な顔をして口は悪い上司兼恋人からバカと評されたこと数知れずな青木だが、「あなたに会いたくてきました!」とバカ正直に答えるほどにはバカでないため、先ほど岡部へ伝えたのと同じ建前理由を述べる。
「そうか・・・しかしお前、さんざん第三管区に来すぎなんだから、今さら挨拶の」
 言葉が不自然に途切れた。
 青木が不思議そうに「薪さん?」と問いかける前で、薪の大きな瞳はただ一点を凝視している。
 もともと柔らかくもなかった彼の視線が徐々に冷ややかさを纏い、白いものへと変化していくのが青木にも見て取れる。
 あれ? この反応、さっきの岡部さんと波多野に似てるような? と妙な不安をおぼえつつ、その視線の先をたどると自分の腹部あたりに行き着いた。顎をひき下を向くと腹の前に垂れ下がる紺色のネクタイの、先端近くに何やら汚れが付着していることに気付く。
 よくよく目をこらすとそこにくっきり浮かんでいるのは、人の唇を形どった真っ赤な口紅の跡。いわゆるキスマーク。
 数秒の思考停止の後、我に返った青木が顔をあげた先では、あきらかにドン引きしている上司の姿が確認できた。
「お前・・・そんなものつけて今日一日歩き回ってたのか?」
「まさか! ・・・あっそうか、ずっとスーツのボタン留めてたから隠れてたんですよ位置的に。だから全然、気づか・・・なく・・・て」
 ようやく自分の置かれた状況に理解が至った青木の声が徐々にしぼみ、ついには止まる。
 成人男性のネクタイに真っ赤なキスマークがべったり付いていれば、そこから導き出される下世話な結論はただひとつ。
「ち、違います薪さん、これ、違うんです誤解ですっ」
「・・・お前ほんとに何しに来たんだ? わざわざ女遊びの物的証拠を僕に見せつけに来たのか?」
「とんでもない! 遊んでません! 俺がそんな器用なことできないって御存知でしょ!?」
「そんなことまで御存知ではない」
 浮気疑惑の浮上は世の恋人たちにとって一種の通過儀礼なのかも知れないが、しかしこれほど身に覚えのなさすぎる疑いをかけられるなんて納得いかない勘弁してくれと青木は声にならない悲鳴を上げる。
「まあ、お前も若い男だから仕方ないだろうが」
「あっ薪さん、俺が浮気したと思ってますね!?」
「僕が言うのもおかしな話だが、そういうことは、あまり人目につかないように上手くやれ」
「だから違うんですって。これ、あの、舞なんですっ」
「・・・そうやって、なんでもかんでも子供のせいにするのはよくないぞ?」
「本当なんですよ、舞が・・・ちょっ薪さん、無視してモニター見始めないでください、俺の話をきいてください!」
 190cmの大男が本気で泣き出しそうだったので、形の良い眉をしかめつつも薪は仕方なく話を聞いてやることにした。結局自分はこの男に甘いのだと、ほとほと嫌気がさしながら。


 かくして顔面蒼白かつ必死の形相をした青木の力説によれば、彼のネクタイに口紅跡を付けたのは6歳の姪だという。
 彼とともに暮らす姪の舞が最近おしゃれに興味を持ち始め、お化粧ごっこに夢中らしい。
 青木家の女性といえば舞以外には青木の老いた母親のみだが、舞にとっての祖母である彼女の化粧品を時々借用し鏡の前で楽しむ姿は本当に可愛らしく、これは将来絶対美人になるぞと頬を緩めて抱き上げた青木のシャツへ厚塗りの口紅とファンデーションが見事に付着した時もまあ不注意だった俺が悪いんだし可愛いからいっか、と締まりのない顔のまま甘く妥協していた。
 だがしかし。まさか大人の見ていない隙に、よりにもよって仕事用ネクタイにこっそりキスマーク付けるなんて一体どこでそんなこと覚えてきちゃったんだ舞?と嘆いてみるが、そういえば先週見たTVドラマで同様な場面があった事に思い至り、女の子ってああいうのに憧れるんですかねえ?と眼前の上司に尋ねたならば返事の代わりに白けた視線が返されて、青木は思わず目を逸らした。


「・・・以上です。ご清聴いただきありがとうございました・・・」
 判決を待つ罪人のような風情で面を伏せる部下を前に、薪は椅子の背に身を預け、長い足を組みなおした。
 これが他の人間であれば「つくならもう少しマシな嘘をつけ」と一蹴するところだが、この男の場合、まあ疑いようもなく本人の弁どおりなのだろう。日頃の人徳の成果と言うべきか、ともすれば第三管区職員全員が「ああ、そんな理由なら仕方ない」と目尻を下げあっさり納得しそうだ。
「数日前にも一度、他のネクタイにやられちゃいまして。それは着ける前に気付いて事なきを得たんですけど。あの時、きちんと厳しく叱っておかなかったのがダメでしたね・・・」
 あぁ絶対岡部さんたちにも誤解された~と嘆きの声を吐き出した後、おずおずと薪の機嫌を窺ってみる。
「・・・わかっていただけましたか?」
「わかった。そういうことにしといてやる」
「だからっ、俺は浮気なんてしませんって!」
「早く岡部たちの誤解もといてきた方がいいんじゃないか?」
 暗に退室を促すような言葉を口にしながら薪は椅子を回転させ既にモニターに向かっている。そんな恋人のつれない背中へ、青木は思いきって先程から気にかかっていた事を問うてみた。
「薪さん。・・・もしかして、妬きました?」
「寝ぼけたことを言ってないで、お前さっさと九州帰れ」
「さっき不機嫌そうだったのは、妬いてくれたからですよね? ね?」
「うるさ」
 い、と続くはずだった言葉のみならずキーボードを叩く指までも止まったのは、背後から回った腕に抱きすくめられたからだ。
「薪さん。好きです」
 聞き飽きた台詞が暖かさをもって耳朶に届き、振りほどく気も失せて薪は肩から力を抜く。
「知ってる。みんなが僕を好きなんだろ?」
「えっ」
 思わぬ返しに声は怯むが腕の力は緩まない。
 それはそうですけどでも今のはそうじゃなくてもう薪さん分かってるくせに、とぐだぐだ続く呟きを耳元で聞きながら、ほんの少し首を後ろへ振り向かせたなら。
 微かに感じ伝わる相手の体温が耳から頬へ、次いで唇のそばへと移動する。
「好きですよ」
「知ってる」
 二人、睦言のように同じ言葉を繰り返して。
 温かな息が互いの口元を掠め、自然、惹かれるように寄せ合う唇が重なっていく。そして青木の指がそっと触れた、白い貝殻のような耳はカチリと聞き慣れた音を捉える。
「薪さん! やっと出ましたよ例の画が     
 ガッ、ゴッ。
 と鈍い音のした方向を、大きく扉を開けた岡部が見やれば。モニター前に立つ薪の背後では、やけに遠くまで飛ばされた椅子の隣で、青木が床に長身を投げ出し仰向けにひっくり返っている。
「ど、どうした青木?」
「どうした岡部」
「ああ、薪さん。昨日から捜査開始した例の事件、画が出ました。凶器と思われるものも映ってます。難航するかと思いましたが、これなら早く決着つきそうですよ」
「わかった。それから、一応ノックぐらいしろ」
「すみません、急いでたもので・・・青木、なんで寝てるんですか?」
「僕が立った拍子に、椅子がぶつかって転けたらしい。そんな邪魔なところに突っ立ってるからだ」
「はあ。あっそういや青木、おまえ、そのネクタイ何だ!?」
「痛てて・・・薪さん、椅子、ひど、思いっきり激突・・・え? ネクタイ?」
「来客接待でキャバクラでも行ったか? 薪さん、大目に見てやってください。こいつまだ若いんで、たまにはハメはずすことも」
「違いますよ! 薪さんには今ちゃんと説明しまし、っ痛ぁ・・・」
「岡部。すぐに行くから、画を見れるよう準備しておけ」
「はい」
 神妙に頷いた岡部が退室すると、薪は未だ胸と腹をおさえてうずくまる青木を通り過ぎ、放置されていた椅子を定位置へと戻す。
「まだそんなところに転がってるのか。邪魔だ。もう帰れ」
「はい・・・」
 いててと呻きながら起こした長身を当然のように近寄せてくる青木の前へ、手のひらを突きつけ押し止める。
「それ以上近づくな。ネクタイの汚れが付くだろう」
 正論で拒まれ、行き場を失った長い両腕が悲しげに垂れ下がる。
「この汚れ、もう落ちないだろ。ていうかスーツの裏側も汚れてるんじゃないか」
「ですね・・・薪さん、あまり引っ張らないでください、少し苦しいです」
 諸悪の根源であるネクタイを手にとり眺める薪が、散歩中の犬を導くかのように微妙に力を込めてぐいぐい握り引くため青木の首元は物理的にじわじわと締まっていく。弱々しく抗議の声を上げると、ギロリという擬音が似合いそうな目で一瞥された後、その細い手に更なる力が込められた。
「ぐぇっ」
 首を絞められた蛙のような声を上げて身体をくの字に曲げれば、青木の耳朶を柔らかな唇がかすめる。
「お前が僕を妬かせようなんて、100年早い」
 からかうような声が甘い吐息とともに耳へ滑り込み、効果覿面に青木の動きと呼吸が完全停止する。
 あっさり身を離した薪から「お前、岡部の誤解とかなくていいのか?」と至極親切な助言をうけ、はたと正気を取り戻すが何だかまだ頭がくらくらしている。さっき胸と腹と尻はしこたま打ったけど頭は打ってないはずなんだけど。
「そういや岡部さんだけじゃなく、波多野にもすごい目で見られたんですよね、実は」
「男より女の方が厳しいからな、そういうの。もう波多野はお前の話なんか聞く耳もたないんじゃないか」
「ええっ。やばっ、早く弁解してこないとっ」
 しかし急ぐべきはずの青木は、数歩進んだ先で足を止め振り返る。薪が訝しげに見返す前で、先程まで狼狽の色を濃くしていた黒い瞳は今や真剣さを帯び、それでも少しだけ目を泳がせながら口を開く。躊躇いがちに何を言うかと思えば、
「あの。俺が好きなのは薪さんだけですからね」
「知ってる」
 ああ、知っている。
「早く行ってこい」
 知っているから、だから妬いたりするものか、今さら。バカ。
 胸中だけでそう言い返して、慌てて駆け出してゆく広い背を追うように、薪は所長室を後にした。

 -おしまい-
 
青木&薪(秘密-the top secret-)

これも結構ふざけた不真面目なノリで書いてしまい無駄に長くなりました。
このお題で青薪しようと思ったらこんなシチュエーションしか思い浮かびませんでした。
これ雪子さんがイタズラでやったら、薪さんのダメージすごそう。
薪さんて実はすぐ嫉妬する人ですよねかわいい。
 
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